古いバージョンのブラウザーを使用しています。MSN を最適にご利用いただくために、サポートされているバージョンをご使用ください。

大阪人は食べていなかった? “串かつ業態”ブームの真相

ITmedia ビジネスONLiNE のロゴ ITmedia ビジネスONLiNE 2019/01/22 06:05
串かつ業態はなぜブームなのか © ITmedia ビジネスオンライン 串かつ業態はなぜブームなのか

 串かつ居酒屋チェーン「串カツ田中」を運営する串カツ田中ホールディングス(HD)の業績が好調だ。2018年11月期の決算(連結)は、売上高76億7000万円、経常利益7億円となった。単独決算だった17年11月期決算と単純比較はできないが、実質的には増収増益を実現している。

 好業績の背景には出店攻勢がある。店舗数はこの1年で166店から218店へと増加した。たった6店だった11年から飛躍的に伸びており、売上高と利益もうなぎ上りで増えている。

 SNS上で散見される“禁煙原理主義者”が主導する論調によれば、あたかも18年6月から取り組んでいる全面禁煙化のみによって好業績が達成されたかのような風潮である。しかし、禁煙化に取り組む前から串カツ田中は、串かつという商材と串かつ居酒屋の業態が持つ魅力で、急成長してきた外食企業。また、プレミアムフライデーに行った販売促進の成功例としても注目されてきた。

 今回は、串カツ田中の禁煙化にとどまらない業態そのものの魅力と、その背景にある大阪・新世界の串かつ文化を探っていきたい。

●知られざる大阪のB級グルメとして注目

 串カツ田中は、最近になって大阪名物になった串かつに注目し、いち早く東京でチェーン展開した。たこ焼き、お好み焼き、うどん、豚まん以外にも、「まだ全国に知られていない大阪のB級グルメがあったのか?」と面白がられたのが、そもそもの成長のきっかけだった。近年まで、串かつは大阪のごく一部、通天閣の立つ新世界の名物で、大阪全般で知られてもいなかった。

 また、串カツ田中が禁煙策を取った背景には、住宅街に店舗が多いという地域特性がある。子ども連れで来店する顧客が目立つことから、受動喫煙を防ぐ環境を整えたほうがファミリー居酒屋の確立には有利に働くと考え、差別化戦略として禁煙を選択した。

 ユナイテッド&コレクティブが運営する鶏料理居酒屋「てけてけ」は、盛り場立地で、串カツ田中より半年ほど前に禁煙策を実施しながらも、残念ながら顧客が減って禁煙化を撤回している。禁煙化すれば、直ちに居酒屋の売り上げが増えるという主張は暴論である。

●不足していた開業資金が立地選定に影響

 串カツ田中の1号店となる世田谷店(東京都世田谷区)が、東急世田谷線世田谷駅の近くにオープンしたのは08年12月。世田谷線は都電荒川線と共に、今では珍しくなったチンチン電車が走っており、東京とはいえかなり奥まった場所にある。同社の広報によれば、1号店は貫啓二社長が見つけた居抜き物件に300万円程度でオープンした。開業資金があまりなかったことも、立地選定に大きく影響している。

 1号店は路面にあって看板が大きく、全般的に“海の家”の雰囲気が漂う。テーブルと椅子を並べただけのようなチープな店舗は「磯丸水産」などの海鮮居酒屋に似ているが、そこで大阪発祥のB級グルメである串かつを売った。商材と店舗の外観や内装が見事にハーモナイズされており、顧客単価2400円を想定していた。このお店が月間売り上げ目標450万円に対して最大800万円と予想をはるかに上回る大ヒット。半年ほどで開店前から大行列ができるようになって、飛躍の足掛かりを得た。

 世田谷駅のあたりは、同じ世田谷区であっても成城や二子玉川のような高級住宅街というより、下北沢や三軒茶屋に距離的にも近く、演劇・音楽関係者も多く住んでいる。彼らは必ずしも世間で言うところの売れっ子芸能人などではないが、チープな酒場で飲んでいる姿が絵になる。そうした顧客たちの発信力、つまり口コミで繁盛店となっていった。

●急速に成長した「串かつでんがな」

 住宅街の立地だったため、休日になると開店直後から小さな子どもを連れた若い夫婦が来るようになった。そこで、普通の外食チェーンが注目しない住宅街への出店戦略をとった。串カツ田中には、犬の散歩ついでに立ち寄れる「ペット可」の店舗も数多く存在する。

 最大のライバルである串かつチェーンには、宅配ピザ最大手「ピザーラ」を運営するフォーシーズが展開する「串かつでんがな」があり、関東を中心に81店を展開している。串かつでんがなは08年4月、東京都渋谷区に1号店を出店。串カツ田中よりやや先行してフランチャイズ(FC)展開で発展してきたが、2年前からピタリと店が増えなくなった。

 これは串かつでんがなが出店する主要駅1等地に、串カツ田中も進出してきた影響が出ていると目される。世田谷の住宅街で生まれた串カツ田中のほうがローコストのオペレーションに長けており、そこで差がついている。それと禁煙策のアピールといった宣伝力の差だ。

 串かつでんがなは、大阪・新世界にある「ジャンジャン横丁」の串かつを参考に商品と店舗の開発を進めていて、こちらのほうが本格的だという串かつファンも多く存在する。

 串カツ田中はキャベツをお通しとして有料にし、利益率向上に寄与させている。一方、串かつでんがなは大阪スタイルを貫いており、キャベツは無料でお通しはない。また、大阪の串かつ屋では、一般に店員が串かつを揚げている間、顧客は牛スジみそ煮込みの「どて焼き」で1杯やりながら待つのだが、そのスタイルを串かつでんがなはそのまま東京に持ってきた。串カツ田中にも一品メニューに「牛すじ土手」なる煮込みこそあるが、積極的に推しているように見えない。

●串かつは西成の味ってホント?

 串カツ田中の前身であるノートという会社は、トヨタに勤めていた貫氏が1998年に27歳で脱サラして、大阪・心斎橋にショットバーを開業したのが始まりだ。その店が軌道に乗り、大阪・堀江にデザイナーズレストランをオープン。さらには東京に進出して青山に京懐石をオープンさせており、もともとは1等地でおしゃれな店を展開していた。住宅街で3等立地の大衆酒場とは縁遠い雰囲気だった。

 しかし、リーマンショックによって売り上げが激減し、方向転換を余儀なくされた。

 串カツ田中の味(ソース含む)は、田中洋江副社長の串かつ好きだった父、故・勇吉氏が残したレシピが偶然発見されて、それがもとになっているとされる。父の遺志(飲食店を経営していたのではないようだが)を娘が継いだという、浪花節的人情ストーリーとなっているのが、串カツ田中がヒットした伏線になっている。人気漫画「じゃりン子チエ」を思い起こさせ、昭和への郷愁をかき立てられる。

 ところで、串カツ田中は「大阪・西成の味」と宣伝しているが、筆者が大阪市西成区の中心地である天下茶屋と玉出でフィールドワークしたところ、商店街で串かつ屋を見つけられなかった。たこ焼き、お好み焼き、うどんなど、コナモンの店が目立っていた。

●商店街の人たちに聞いてみた

 商店街の人に「西成が串かつの本場と東京で聞いたのだが、有名店を教えてくれ」と聞くと、怪訝(けげん)な顔をされ「串かつが食べたければ、この辺にはないから新世界に行け」とアドバイスをされた。新世界は西成区に隣接しているが、浪速区という別の区である。

 さらには、「串かつを家でつくって食べるのか」と尋ねると、「材料をそろえるのも大変。そんなめんどくさいことするわけない。子どもの頃から家で食べたこともない。たまにスーパーで買って食べる程度だ」と高齢者からも一笑に付されたのである。

 西成の繁華街である天下茶屋や玉出では、串かつは昔から流行っていなかった。西成は広く、串かつ屋が皆無ではないので、串かつをソウルフードとするエリアが一部に広がっている可能性も残されている。

 筆者は関西で生まれ育ったが、子どもの頃、大阪のキタやミナミに何度も行ったことがある。しかし、街角で串かつの店を見たことがなかった。新世界にはあるとうわさには聞いていたが、酒飲みが行くディープなところで、子どもが立ち入る場所ではなかった。梅田や新大阪にある1949年創業の老舗「串かつ松葉」は、大人になってから知った。揚げ置きスタイルの立ち飲み店で、まさにサクっとちょい飲み感覚で食べて飲んで、20分くらいで出る雰囲気。子ども連れで行く人はいない。

●俳優の赤井英和が広めた串かつ

 さて、串かつが新世界の名物から大阪の名物に昇格したのは、俳優で元プロボクサーの赤井英和氏(西成区出身)の尽力によるものだ。赤井氏は1929年に創業した元祖串かつ「串かつだるま」が後継者難で閉店の危機にあることを知り、高校のボクシング部の後輩であった上山勝也氏を説得して、後任に据えた。2001年のことだった。

 赤井氏の見込んだ通り、上山氏は経営の才を発揮。3坪12席の個人店だった串かつだるまは大阪を中心に現在18店をチェーン展開するようになった。

 串かつだるまを後押しするため、赤井氏は関西の料理番組などに出演し、串かつの調理法を解説するような普及活動も行った。

 「横綱」や「串かつじゃんじゃん」など、新興の店が集まった新世界串かつ振興会系の店なども勃興して新世界が串かつ屋街になり、串かつの店が大阪のキタやミナミに広がって、大阪をはじめ関西で食べられるようになったのは今世紀に入ってから。せいぜい十数年の歴史なのである。「大阪人は串かつを食べない。食べているのは観光客」とよく言われるのは、食べる習慣がなかったからだ。

 「ソース二度漬け禁止」「無料のキャベツ」といった串かつ屋のルールも「串かつだるま」から始まっている。

 串かつだるまによれば、もともと牛串のみが「串かつ」と呼ばれ、他の串揚げは単に食材の名で呼ばれていたそうだ。つまり料理全般は串揚げで、牛串が串かつだった。それがいつの間にか、串揚げ全般を串かつと呼ぶように転換されていった。

 そうして、新世界から大阪の繁華街へと串かつが進出してきたタイミングで、東京に串かつ居酒屋を立ち上げたのが串かつでんがなであり、やや遅れて進出したのが串カツ田中であった。

●「串家物語」というライバル

 串カツ田中が、大阪地場の串かつ専門店とはずいぶんと異なった業態であることを述べてきた。串カツ田中は、禁煙化によって顧客層が変わり、ファミリー層が13.4%から20.8%に増え、会社員・男性グループが31.1%から24.1%へと減った。

 子ども向けメニューとして、親子でつくれる「手作りたこ焼きセット」、セルフでトライするソフトクリームなどを導入し、強化している。両メニューは小学生以下無料。他にもお子様ランチのような「おこさまプレート」、ソフトドリンクを注文した未成年客が店員とジャンケンして勝ったら無料、あいこで半額の「子供じゃんけんドリンク」も実施。

 これまでも、プレミアムフライデーでは月の最終金曜だけでなく、最終週全てをキャンペーン期間にして割引を実施。多くの飲食店が「売り上げに効果がない」と訴えているプレミアムフライデーで、実績を上げてきた。禁煙化でも同じ要領で、串かつ全品100円セールなどを2週間もの長期で実施して、非喫煙者の集客に成功している。

 そこで新たな競合となってきているのが、フジオフードシステムが展開するセルフ串揚げ食べ放題「串家物語」である。このチェーンはイオンモールなど商業施設に強く、東北や北陸などを除く全国に112店を展開している。串カツ田中のセルフでつくるメニューは、串家物語を意識していると思われる。

●巧妙な宣伝手法で全国1000店を目指す

 串家物語は自分で串を揚げるから顧客が楽しいと感じている。さらに、カレーやパスタ、サラダ、デザートのチョコレートファウンテン、ケーキなども食べ放題である。値段は店によって異なるが、90分でランチ1600円、ディナー2700円くらいである。子どもは半額ほどだ。休日のランチは70分に時間が短縮され、値段も100円上がるケースがあり、時間が短くてゆっくりできないといった顧客の不満を結構聞く。

 串家物語は串カツ田中が禁煙化にシフトした18年6月、既存店売上高(国内直営)が前年比85.3%まで落ち込んだ。同年7月には西日本豪雨の影響もあり、81.6%に落ちた。ファミリー客が串カツ田中に流れたと思われる。

 串家物語はパンケーキなど新メニューを投入し、18年9月にはネット予約をした顧客限定で948円(税抜)で食べ放題にするなど、割引キャンペーンを実施。同月は102.1%と前年以上の実績に戻した。

 串カツ田中は大阪名物の店をうたいつつも、新世界の店と全く異なるマーケットを創出した。居酒屋と食堂の中間のような新タイプのファミリー居酒屋である。田中副社長は大手広告代理店出身、父の影響で自身も大の串かつ好きという。その田中家の食習慣をもとに業態を最適化し、広告代理店で培った巧妙な宣伝手法で、全国1000店を目指しているのだ。

(長浜淳之介)

ITmedia ビジネスオンラインの関連記事

image beaconimage beaconimage beacon