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"奨学金破産"は甘えた人の自己責任なのか

プレジデントオンライン のロゴ プレジデントオンライン 2018/07/10 09:15 飯田 樹

「三流大学にお金を借りてまで行く必要はない」。もしそう考えているとすれば、それは大間違いだ。東京大学の濱中淳子教授らの研究によれば、進学率5割を超えた現在であっても、高卒者が大卒者になることで、その人が生涯に支払う税金は大きく上昇する。学費をすべて公的負担しても税収にはプラスなのだ。しかし世間の「大学不信」は根強い。必要なことはなにか。東京大学の濱中淳子教授に聞いた――。

大学生の2人に1人が奨学金を借りている

"奨学金破産"は甘えた人の自己責任なのか © PRESIDENT Online "奨学金破産"は甘えた人の自己責任なのか

日本学生支援機構によれば、平成28年度までの30年間で国の奨学金を借りている人は約44万人から約131万人に増えた。現在、大学生の2人に1人が奨学金を借りている。貸与者が増えるのに伴い、奨学金を返せない人も増え、機構によれば、平成28年度までの5年間で、のべ1万5338人が奨学金を返せず自己破産している。

奨学金は「教育の機会均等」の役割を持つが、学生が将来にわたり、多額の借金を背負うことも意味する。奨学金破産や延滞が問題となる現状に対し、「お金を借りてまで大学に行く必要はない」とする意見もある。大学の教育費は誰が負担すべきなのだろうか。

東京大学高大接続研究開発センターの濱中淳子教授は、「大卒者が増えるほど、国の税収は増える。進学費用の公的負担を真剣に考えるべきだ」と主張する。

濱中氏らは共著『教育劣位社会』(岩波書店)で、国の「賃金構造基本統計調査」を用いた推計を紹介している。その結果、「高卒者が大卒者となることで、その人が生涯に支払う所得税は1500万円上昇する」という。理由は、大学時代に学習習慣を身につけることが、就職後の学習の継続につながり、所得の向上をもたらすためだと考察されている。

いまや大学は「レジャーランド」ではない

だが、現在の日本では「大学の進学費用は個人が負担するべきだ」という考えが支配的だ。なぜそうした偏った認識が広まっているのだろうか。理由はどこにあるのか。濱中氏は「現役世代の大半が、大学教育の効用を実感できていない世代だからではないか」と話す。

「『大学なんか意味はない』と言っている人は2つのタイプに分けられます。いわゆる『地頭がいい人たち』と『1990年代以降の大学を知らない人たち』です。もともと頭が良くてビジネスで成功した人たちが、大学教育に意味を感じられないのは当然でしょう。また後者のタイプの多くは、『レジャーランド時代』に大学に通っていたので、勉強していた記憶がないのでしょう。しかし今の大学はその頃とは違います。当時の経験から、現在の大学を評価するのは間違っています」

大学教員の仕事時間は上限に近い

「レジャーランド時代」とは異なり、学生が学習習慣を身につけて社会に出られるよう、大学自体も変わりつつある。出欠確認は厳しく、授業に出ていなければ単位は取れない。そもそも双方向型の授業が増え、サボることも難しい。

しかしそうした取り組みは一部にとどまっている。背景にあるのは、リソース不足だ。日本の大学教員は忙しすぎる。大学自体の予算が足りないため、スタッフを十分に雇用できておらず、学生指導に十分な時間が割けない。

高等教育に詳しい浦田広朗氏の論文「大学教員の時間使用と授業改善」(「大学・学校づくり研究」第5号)によれば、学期中における大学教員の仕事時間は週50時間を超える。これは、最も長時間働く年代である40代前半の有業男性の仕事時間を上回るものだ。この論文で浦田氏は、大学教員の仕事時間が上限に近いことから、教育の効果を上げるために必要な授業準備時間を十分に確保できていないのではないかと分析している。

「大学が効用を生み出すために最も大切なのは、学生が自己学習力をつけることです。社会に出て『役に立たない』と言われるのは、自己学習力をつけないまま卒業している大学生がいるから。しかし、学生が課題を解いて、自分ができないことに気づき、『学ばなきゃいけないんだ』と実感する体験を今の大学で与えられるかというと、教員に時間がないし、スタッフも絶対的に少ないのが現状です」(濱中氏)

大学の教育費は当事者しか考えない

スタッフの数を増やし、教員が教育に使える時間を増やすためには、予算が必要だ。だが、進学費用をはじめ、大学教育費の公的負担とその規模の問題をめぐる議論は盛んではない。濱中氏は、「大学の教育費に関心を持つ人が当事者に限られていることが原因だ」という。

「子どもがいない人や高齢者、お子さんが幼児や小学生の人は、大学進学費用について考えません。中学生・高校生のお子さんがいる人達だけは考えますが、現在、その人達は50歳くらいです。バブル期で親が学費を払える時代に大学に通っていたので、大学の進学費用は親が負担するのが当たり前だと思っています」

大学教育はエリートだけで十分という思い込み

濱中氏との共著『教育劣位社会』で、矢野眞和氏(東京工業大学名誉教授)は「教育の当事者であるか否か」による教育世論の違いを分析している。この分析では、世帯を「子どもなし」「高校を卒業」「中学生以下がいる」「高校生がいる」の4つに分類。「大学進学機会の確保」について聞いたところ、「税金が増えてもいいから積極的に進めるべき」または「どちらかといえば税金が増えてもいいから積極的に進めるべき」と回答した人の割合は、「高校生がいる」世帯が50.0%と最も高い一方、「子どもなし」は22.2%、「高校を卒業」は26.8%と低い数値にとどまっていた。

 この分析を行った矢野氏は、同時にエリート主義的大学観の問題点も指摘している。「学業成績の低い者の(進学)メリットは小さい」という思い込みがあるというのだ。大学教育はエリートだけで十分、という考えが主流であれば、税金で大学教育費を負担しようという議論は生まれない。

日本の大学進学率はOECD平均より低い

繰り返すように、大卒者を増やすことは、国の税収を増やすことになる。それではどこまで進学率を高めればいいのか。現在、日本の大学進学率は54.8%(平成29年度学校基本調査)。近年上昇してきているが、OECD平均には及んでいない。

濱中氏は「80%~90%という選択肢を検討すべきだ」という。念頭に置くのはアイスランドやスロベニア、ノルウェーなどの北欧諸国だ。これらの国の進学率は約70%~80%と高い。それには2つの理由があるという。ひとつは大学の学費が完全に無料であること。もうひとつは大学進学年齢が「18歳」と決まっているのではなく、学びたくなったときに、自由に学べるような社会システムが整えられていることだ。

「いつ学びたいかは人によって違うし、キャリアの中で学びたいことは変わります。このため進学率を高めるには、教育市場を流動化する必要があります。いつでも誰でも大学に行けるようにして、その時のお金はみんなで支える。北欧諸国はそうした考え方をもっているのです。日本は高度成長期から、高校卒業後に進学して就職する形になっているので、それを崩すのは難しいですが、本当にやろうと思えば変えられるはずです」(濱中氏)

誰もが「必要なとき」に大学に行ける社会に

流動型の大学のあり方に近づけるための方法として濱中氏は、社会人が大学に通う機会を増やすことを提案する。

「企業が大学に社員を派遣したり、社会人学生が増えたりすることで、社会人になってから大学へ通うことの意味を経験から学ぶのです。社会人の場合は必ずしも学位が欲しいとは限りません。そのため、社会人を受け入れる大学側は、単位認定の仕方や講義期間などを柔軟に考えていく必要があります」(濱中氏)

大学が高校卒業後に限らず、人生のなかで「必要なときに行く場所」になり、その価値を自らのキャリアでも実感できるようになることで、教育費の公的負担に対する関心も高まるはずだ。

誰もが必要な時に大学に行け、その費用をみんなのお金としての税金で負担することができれば、社会のお金で大学に通うことは「甘え」ではなく、「当たり前」となる。奨学金で進学することの価値を問う前に必要なのは、大学教育が何のためにあり、社会にとっていかなる効用があるのかを再確認することだろう。

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