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テレビの自称専門家に翻弄されないための思考の作法

JBpress のロゴ JBpress 2020/06/29 06:00 森田 朗
「8割おじさん」として有名になった北大の西浦博教授のように、高度の数理モデルを使って感染リスクを分析し、有効な行動変容のあり方を示唆した専門家もいた(写真:ZUMA Press/アフロ)。 © JBpress 提供 「8割おじさん」として有名になった北大の西浦博教授のように、高度の数理モデルを使って感染リスクを分析し、有効な行動変容のあり方を示唆した専門家もいた(写真:ZUMA Press/アフロ)。

 少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。

 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。(第1回、第2回、第3回、第4回、第5回、第6回はこちら)

※NFIの設立記念シンポジウムが7月7日に開催されます。詳細はこちらをご覧ください。

一般人が頼れる情報とは?

 人類は今、世界中で新型コロナウイルスという敵と必死に戦っている。この未知のウイルスがいかなるものか、われわれはどのように感染し、またどれくらいの人たちが感染し、そのうち何%くらいの人たちが亡くなるのか。未知の脅威に対して、すべての国民が不安に陥り、感染の恐れにおののきながら日常生活を送ることを余儀なくされている。

 では、感染を避けるためには、何をすればよいのか、すでに感染は収束に向かっているのか、医療崩壊のリスクはどれくらいあるのか。それを知るために、多数の人々が、新型コロナウイルスについての解説情報にアクセスし、少しでも不安の要素を取り除こうとしている。現代は、WebサイトやSNSを通して多数の情報にアクセスすることができ、また、自ら知り得たことを発信して不特定多数の人々の伝えることもできる時代だ。

 さまざまな情報が多様なルートを通って流布しているが、一般人にとって頼りになる情報は、何といっても専門家が発信する情報である。医学、中でも公衆衛生学や疫学の専門家の解説はとりわけ傾聴に値する。「8割おじさん」として有名になった北海道大学の西浦博教授のように、高度の数理モデルを使って感染リスクを分析し、有効な行動変容のあり方を示唆してくれる専門家もいる。

新型コロナで不安を煽ったにわか専門家

 厚生労働省の専門家会議など、責任ある公的機関が出す情報が最も重要だ。ただ、政府が責任をもって発信する情報であるがゆえに、さまざまな配慮がなされるのか、どうしても歯切れの悪い表現が多く、国民としてはそれを聞いてさらに不安が募ることもある。

 そのせいかどうか、巷では、多数の専門家(自称専門家も含めて)が地下から湧いてきたかのごとく、テレビで解説しネットで発信する。彼らが発信する情報が政府からの情報を補完し、国民の不安を少しでも解消してくれるのであればよいのだが、現実はそれらの専門家が、政府と異なる見解を披瀝したり、政府の対策を批判し、あるいはお互いに批判し合っていることも珍しくない。

 PCR検査をもっと増やすべきだ、なぜ他国と比べて日本は少ないのか、政府のクラスターを潰すというやり方はでは感染爆発を防げない、政府や都道府県が発表する感染者数には公的な検査でわかった数しかカウントされていない、実際には感染はもっと広がっているはずだ──等々と批判する。

 このような専門家の異なる見解を聞かされるだけでも、一般人は一層不安に陥ってしまう。それに加えて、とても専門家とはいえないテレビのコメンテーターや評論家といわれる自称知識人の類までもがこの議論に参入し、実効再生産数の計算の仕方がおかしい、検査されていない人の間にもっと感染者がいるはずだなど、素人の私が読んでも、この人は統計学の初歩を知らないなと思うような発言を平気でしている。

 この事態に黙っていられず、まじめに勉強して思いを述べている人もいるが、中には不安を除くために、否、不安を煽って注目を集めるために、このような発言をしているのではないかと思われるような、にわか専門家も少なからずいる。

やり場のない不安や怒りが魔女狩りを生む

 加えて、SNS上にはコロナをめぐる情報が無数に飛び交っている。中には、怪しげな情報やまったく根拠のない情報もある。新型コロナウイルスは熱に弱く、26度を超えると死滅するいう情報もあった。では、どうして体温36度の人体で増殖するのか、と考えればすぐにその真偽はわかると思うのだが、こうした情報がまことしやかに伝達される。また、ヨーロッパでは、中国憎しの思いからか、携帯電話の5Gの電波でウイルスが感染するという情報も拡散したそうだ。

 見えない脅威が迫ってくるとき、不安な心理状態に陥った人たちは藁にもすがる思いで、どうすれば助かるか、せめて家族や子供たちだけでも感染から免れる方法はないかを必死になって知ろうとする。

 こういう大衆心理が発生し、今回と同様に専門家の意見に耳を傾け、そして専門家が信頼を失い、その権威が失墜するという経験を、実はわずか10年ほど前にしている。東日本大震災における福島第一原発の事故だ。それまでの安全神話が崩れ、それからはさまざまな分野で「ゼロ・リスク」が求められるようになった。

 このような心理状態でのやり場のない不安と憤りは、しばしば誰かを悪者にし、事態の責任を彼らのせいにして糾弾し、そして心の安らぎを得ようとする。昔からあった「魔女狩り」を生む集団心理だ。

 そのような状態に陥ったとき、不安に駆られた人々は、信頼できる情報よりも安心させてくれる情報を求めがちだ。客観的な情報をベースに現状を分析し、可能性の中で最も確実な方法を探すのではなく、それまでの知識から安心できる状態を想像し、それに合致する情報を探す。

 そして、それが見つかったら、思考は停止し、情報の探索も止めてしまう。さらに、それで安心した人の中には、たどり着いた情報を正しいと信じ、社会に広く知らせようとしてSNSで発信し、それでますます社会に対してよいことをしたと思い込み、心の安らぎを得ようとする者もいる。それが誤報の伝言ゲームを作っていくことはいうまでもない。

安心できる情報より信頼できる情報を

 それでは、不安を払拭できないとき、しかも専門家も一枚岩ではなく、意見が分かれているとき、一般の人たちは何を信頼し、どのように考えたらよいのか。

 科学の世界においては、歴史的に検証されてきた基礎的な理論は専門家の間で当然共有されている。しかし、最先端の検証が不充分な研究領域では、複数の仮説が存在し、論争が繰り広げられていることも珍しくない。専門家が一致して同じ見解を述べるためには、理論が共有され、かつ信頼できる共有されたデータに基づいて分析が行われていることが前提となるだろう。

 しかし、新型コロナウイルスのように、その性質も不明で、データも存在していない場合にはどうしたらよいのか。ここで、政府は最も多くのデータを収集しているのだから、それを公開して専門家に広く意見を募り、それらをまとめ、政府の責任で一元的に情報発信せよ、という意見もしばしば聞かれる。

 だが、さまざまなことを配慮しなければならない政府の公式発表は、政府が信頼を得ていないならば、「大本営発表」となる疑惑を払拭できないというのが歴史的経験でもある。そこで独立した学術会議のような科学者団体が権威ある発信を、と期待したいが、研究者間の意見調整も容易ではない。ではどうすればよいのか。

 残念ながら、その解決策はない。従って、自分自身で冷静に情報を評価して判断せざるを得ないのだが、その思考過程はある程度示すことができるのではないだろうか。

 一言でいえば、安心できる情報よりも、信頼できる情報を重視するということである。どうしたら信頼できる情報を識別できるのか。それには、ある情報に対して、それとは異なる批判的な情報を調べ、それと比較して、どちらがより説得力があるか、どちらがより論理的な反論に対してタフであるかを検討してみることである。

 もちろん、このように考えたからといって、いつも確信できるような結論が得られるとはかぎらない。今回のように、充分なデータもなければ、ウイルスの性質も明らかではない場合には、わからないことはわからないと正直に述べ、複数の可能性を比較して、その中からよりよい可能性を柔軟に探っていくことしか方法はない。

最も卑劣な「後出しジャンケン」批判

 そうだとしても、門外漢にとっては確信をもてる情報にたどり着くことは難しい。PCR検査をもっと増やしたら、感染状況がわかり、それによって感染の拡大を減らせるよい対策を示せるのか、4月中旬の時点では感染者数はそれほど増えていないが、それは指数的に増加するという予想に反して、国民への自粛要請が奏功したということなのか。それらの疑問について確信できる回答は得られない。専門家でも、自信をもって説明できないのではないだろうか。

 このような場合、私自身は、できるだけ多くの専門家の見解に耳を傾け、信頼できそうな専門家の意見にまず従うことにしている。優れた研究者は、自分と異なる立場の見解についても、真摯に、中立的に分析し評価する。そして、明確な理由を示して自分の見解を述べる。また、わからない場合は、可能性は述べることはあるかもしれないが、断言はしない。科学者としては当然の行為であるが、社会の一般人に対して情報発信する場合、そうした姿勢はむしろ自信のなさととらえられてしまうかもしれない。

 メディアに登場する専門家の多くはまじめな研究者であるが、メディア側が不安を煽る、あるいは魔女狩りをやりたがる結果、ときにそれに迎合する専門家もいる。メディアとともに専門家の姿勢も問われるところである。

 特に後からわかった事実に基づいて過去の政府の対策や専門家の評価を批判するような「後出しジャンケン」的な行為は卑劣だ。決定や評価の時点におけるベストの判断であったかどうかが評価されなくてはならない。

 未知の恐怖に直面しているとき、できるだけ冷静にダメージを最少化する努力をすべく現状における最善の策を講じること、今可能なことはそれしかないことをすべての人がしっかりと認識すべきだと思うが、いかがだろうか。

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