古いバージョンのブラウザーを使用しています。MSN を最適にご利用いただくために、サポートされているバージョンをご使用ください。

「完全無欠の幸福は、死そのものだった」《別れ》を予感させる美しい台詞とは ~田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』に見る名場面

婦人公論.jp のロゴ 婦人公論.jp 2021/07/22 13:00 三宅香帆
婦人公論.jp © 婦人公論.jp 婦人公論.jp
人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第7回は「別れ」の名場面について……

* * * * * * *

【写真】文筆家の三宅香帆さん

第6回「《孤独》~綿矢りさ『蹴りたい背中』に見る名場面」はこちら

「別れ」が生み出した数々の名台詞

小説の名場面をご紹介する本連載。いままで「出会い」や「片思い」など、いろんな人間関係の展開をご紹介したが、今回は、その最後にふさわしいテーマ。「別れ」の場面だ。

私は、「別れ」は、台詞に込められる、と思っている。

今回のテーマは「別れの場面」。

古今東西、別れといえば、さまざまな名場面がある。

たとえば映画の『カサブランカ』。世にも有名な「君の瞳に乾杯」という台詞は、『カサブランカ』の別れのシーンの決め台詞。いやもう本当にイングリッド・バーグマン演じるイルザが美しくて美しくて、「なんでこの美しい女性を目の前にして別れを決意できるのか!」と絶叫してしまいそうになる場面だ。まあ、だからこそ主人公の男の美学が際立つわけですが。

あるいは、おなじく映画であれば『スタンド・バイ・ミー』でゴーディが「さよなら」というと、クリスが「またなって言えよ」と返すシーン。いやもう名台詞! 少年たちの切ないけれどちょっとやさしい別れを表現した台詞になっている。

小説だと『風と共に去りぬ』の、スカーレットとバトラーが別れたあとのラストシーン、「明日は明日の風が吹く」という台詞が有名ではないだろうか。

そのほかにもたくさん、「別れの場面」を思い浮かべるだけで、ありとあらゆる物語の名場面が頭をよぎる。

そう、別れの場面には、ドラマチックな名台詞がつきもの。

別れは、名台詞の親なのだ。

小説と映画で異なる別れの描き方

そう考えてみてあらためて小説の海を見渡してみたとき、私がいちばん好きな「別れ」の描写もまた、名台詞とともにあった。

「ジョゼと虎と魚たち」という田辺聖子の短編小説がある。実写映画にもなっていて、原作小説も実写映画もどちらも本当に素敵な作品なのだが。

小説と映画でいちばんちがうのが、別れの描き方だったのだ。

「ジョゼと虎と魚たち」の主人公は、自分のことをジョゼと名乗る女性。足が不自由で、車椅子がないと動けない。彼女と恋人関係になるのが、ひょんなことからジョゼとかかわることになった大学生の恒夫だった。

小説はとても短い作品で、ふたりはするっと恋人になる。恒夫は大学を卒業し、ジョゼと同棲するようになる。

そして、小説は、その別れをはっきりと描かない。

© 婦人公論.jp

しかし一方で、実写映画は、ふたりが別れたことをはっきりと描いた。「結局、ジョゼと恒夫はうまくいかなかったけれど、それでもジョゼは元気で暮らしている」ということを示唆するラストシーンで終わるのだ。

© 婦人公論.jp

アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった

小説のほうは、読者に別れを予感させるだけだ。実際にジョゼと恒夫が別れるかどうかは分からないが、限りなく別れるであろう可能性が伺える。

そしてその場面で、ある名台詞が登場する。映画にはない台詞だ。

ーーーーー

ーーーーー

私があらゆる小説の別れの場面のなかで、いちばん好きな文章だ。なんといっても、名文としか言いようがないのが、ここ。

ジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠の幸福は、死そのものだった。(アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった――)」。

――「別れ」を予感させる場面として、なんて美しい台詞なんだろう、と思いませんか。

田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』角川文庫 © 婦人公論.jp 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』角川文庫

いつ来るともしれない別れが大前提にあるけれど

ジョゼは、今この幸福をかみしめていて、でもそれが永遠に続くわけではないことを分かっている。しかしどこかにある別れが来るまでは、その幸福にたゆたうと決めている。なんだか、人と出会って別れることそのものに対する、ジョゼの覚悟や諦め、そしてこれまでの恒夫との関係において内省してきた時間が、すべて伝わってくる。

ジョゼは、ただこの幸福をいまは享受する。それはいつ来るともしれない別れが大前提にあるけれど、でも、それでいいのだ、とジョゼは感じている。

死ぬことみたいな、完全無欠の幸福を、いまはただ享受する。……この台詞には、「恒夫とジョゼの関係」が内包されている。

この台詞が私たちの心を打つのは、ジョゼの、恒夫に対する情がこれでもかと伝わってくるからだろう。

ジョゼにとって、「恒夫の存在は、自分の人生で一瞬登場した、思いがけない幸福だった」ことが、伝わってくるのだ。

「別れ」のセリフにはその関係性が表れる

誰かと別れる際、私たちは「その人が自分にとってどんな存在だったか」を考える。

だからこそ、別れの場面は、その関係をどういうふうに捉えていたのかが、表現されやすい。

そのふたりが、どんな関係を構築していたのか。それが伝わってくるから、別れの場面には名台詞が登場しやすいのだと思う。

たとえば、冒頭で挙げた『カサブランカ』の「君の瞳に乾杯(“Here's looking at you, kid.”)」。実はこれ、別れの場面以外にも繰り返し唱えられてきた台詞なのだ。だからいざ別れるときに同じ台詞を唱えることが効果的になる。それまでのふたりの関係性が大前提として存在する。

あるいは『スタンド・バイ・ミー』の「またなって言えよ(“Not if I see you first.”)」には、ふたりがこれまで気軽に会える仲であったことが表現されている。いままではまたなって言えたからのに、今回は、そう言えない。だから名台詞になり得る。

別れの場面は、もっとも関係性を表現する台詞が、生まれやすいのだ。

別れの際、相手をどのような存在だと思っていたか、表現される。滲み出るように、関係性が、まとめられる。別れのときにはじめて、自分にとってどういう存在だったか分かる。

それをうまく表現した言葉こそが、「別れの名台詞」になり得る。

ジョゼにとっては、恒夫は、いつ失うかもわからない、しかし失うことが前提にある、まるで死のような、「完全無欠な幸福」に達した一点だった。

それがなにより読者に伝わるからこそ、このラストシーンは、名場面であり、名台詞であり続けるのだろう。

婦人公論.jpの関連リンク

image beaconimage beaconimage beacon