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「平成」の30年、なぜ日本はこれほど凋落したのか

JBpress のロゴ JBpress 2019/03/29 06:00 朝比奈 一郎
「平成」の元号は、1989年1月7日、首相官邸で、小渕恵三官房長官から発表された(写真:Fujifotos/アフロ) © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 「平成」の元号は、1989年1月7日、首相官邸で、小渕恵三官房長官から発表された(写真:Fujifotos/アフロ)

 間もなく新元号が発表され、およそ30年続いた「平成」も終わりを告げようとしています。昭和のように戦争にも巻き込まれることなく、一見平穏だった30年間のように思えますが、実は大変な激動の時代でもありました。そこで改めて、平成という時代を振り返ってみたいと思います。

平成の三大構造変化

 平成には、3つの大きな構造変化がありました。

 1つは、戦後レジームの崩壊です。平成が始まった1989年は、ちょうどベルリンの壁が崩壊に向かう年でした。そこから、それまで厳然としてあった東西冷戦構造が一気に終結に動き始め、2年後には東側陣営のリーダーであるソ連までもが崩壊してしまいます。まさに戦後レジームは、平成の始まりとともに崩れ、その結果、アメリカ一強状態が現出しました。

 2つ目の構造変化は、中国の台頭です。日本で平成という時代が始まった頃の中国はといえば、国際政治や国際経済の舞台で、それほど影響力を持った存在ではありませんでした。確かに人口は多く国土も広く可能性を秘めた国ではありましたが、当時はまだまだ開発が進んでいませんでした。それが平成というわずかな期間に、目覚ましい発展を遂げていったのです。

 平成の初期、中国がここまで発展を遂げることを予想している人は多くはありませんでした。むしろ当時盛んに予想されていたのが、「日米欧三極体制」の出現でした。欧州諸国が結束しEU創設を定めたマーストリヒト条約の調印が行われたのは平成4年。これによりヨーロッパがEUという巨大な統一市場を形成し、日本、アメリカとともに経済の中心になるという観測です。しかし平成の終わりを迎え、結果的に登場したのは、アメリカと中国による二極体制でした。

 そして3つ目の構造変化は、日本の凋落です。残念ながら、平成の30年間は、国際社会における日本の存在感が圧倒的に小さくなっていくプロセスでした。

 データを見てみましょう。平成6年、世界のGDPに占める日本のGDPの割合は17.6%でした。同じ年にアメリカは24.8%です。つまり日米両国で世界のGDPの4割以上を叩き出していたのです。これが平成29年になると、日本の割合は6.1%。存在感はほぼ3分の1になってしまいます。

 またスイスのビジネススクール「国際経営開発研究所(IMD)」が毎年発表している、国際競争力ランキングで、日本は平成元年から4年まで1位でした。それが2018年には25位。この数年は20位代後半をさまよっています。

 世界の時価総額ランキングも、世界のトップ50社を見ると、平成元年には日本企業が32社も占めていたのに、平成30年ではトヨタ1社が35位にランクインしているのみ。なんともお寒い状況です。

 国際経済の舞台で、日本は凋落の一途を辿っていった。それが平成という時代でした。

 冷戦体制とは、イデオロギー的に言えば、共産主義や社会主義と、資本主義との対立構造です。これが終焉したということは、やや乱暴に言えば、「共産主義や社会主義の考え方は誤りで、資本主義が正しかった」と世界中が認識したのです。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の原論文が出たのも、平成元年でした。

 もちろん、共産党一党支配のもと、社会主義共和国体制で急成長を果たした中国の一部の人々は違う意見を持っているかも知れませんが、世界全体で見れば、「最終的には資本主義が勝利した」という認識が非常に強くありました。平成当初、日本人は「資本主義が正しかった。その先頭ランナーの一人であるわれわれは、これからも世界経済の中心になっていくだろう」と考えていたと思います。

 冷戦が終わり、共産主義や社会主義という対立するイデオロギーの存在感が非常に小さくなると、今度は資本主義の原初的な特徴が非常に強く出てくるようになりました。どういうことかと言えば、「カネがカネを生む」という資本投下の仕方を、より効率的に行おうとする動きが出てきたのです。

 具体的に言えば、日本が得意としてきた製造業中心の資本主義から、もっと資本効率の良い金融業やIT産業が経済のメインストリームになっていったのです。この過程で、アメリカはウォールストリートの金融業や、シリコンバレーのIT企業、特にGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ばれるIT界の巨人が経済成長を支えてきました。中国も、巨大な国内市場を強みにして、IT企業や金融機関が成長し、経済をけん引しています。

 この変化に日本はついていけませんでした。それが日本凋落の原因なのです。

「教育敗戦」が招いた「人的資源の劣化」

 では、日本はなぜこの変化についていけなかったのでしょう? もともと日本人は、時代の大きな変化に柔軟に対応していくことが得意な人たちでした。

 典型は明治維新です。それまでの徳川幕府の時代からすれば、明治維新は社会構造を根本的にひっくり返すような改革です。各地に君臨した殿様の権限を全部取り上げて廃藩置県を行ったり、米で納めさせていた税金をお金で納めさせるようにしたり、国民全員に初等教育を受けさせる義務教育を導入したり・・・。

 どれをとっても「消費税率を8%から10%に」などというレベルの改革ではありません。明治維新というのは、本当に無茶苦茶な改革でした。近代西洋とぶつかり合って、「あ、そういう時代なんだ、このままじゃ生き残れないんだ」と、鍵となる日本人たちが認識したからこそ、過去をかなぐり捨てて、時代の変化に食らいついていったのだと思います。

 戦後も同様です。日本はアメリカとガチンコの戦争をし、徹底的に叩き潰されました。はっきり言って「終わった国」だったはずです。しかしその状況から、日本人は、欧米型の民主主義、資本主義に対応していきました。自動車も家電も、日本人が発明したものはありませんでしたが、欧米企業にキャッチアップし、ついには抜き去るようにして、経済大国へとのし上がっていきました。1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本もアメリカで出ました。

 つまり歴史を振り返ってみると、新しい時代、新しいゲームについていくことは、本来、日本人はどこの国の人たちよりも得意なはずなのです。

 ところが、平成の時代に起きた世界の構造変化には、さっぱりついて行けなかったのです。その原因は、一つしか考えられません。それは「人的資源の劣化」です。もう少し突き詰めて言うならば、平成に起こった日本の凋落は、「教育の敗戦」の結果だったと言えるでしょう。

 高度成長期から平成の最後まで、日本人の教育は、「受験していい学校に入り、いい会社に入り、そこで頑張って出世する」というゲームをするための教育でした。学校教育の仕組みというレベルを越えて、社会全体でそういうゲームを作ってしまったわけです。その結果、イノベーティブな人が多数出てきたり、活躍したりしにくい社会になりました。

エリート中心主義の末路

 これは実は、中国のかつての凋落の歴史に近いと思います。例えば、17~18世紀にかけての中国の清朝は世界に冠たる帝国で、世界中のどの国と争っても負けるはずがないスーパー大国でした。しかも科挙という試験によって、あの広大な中国大陸の中から、とびっきりの秀才だけをかき集めて国家運営をしていたのです。世界最強の国が、最高の人材を集めて国家運営しているのだから、負けるはずがありません。

 ところが19世紀になるとその勢いが衰え、西欧諸国に事実上植民地化され、敗れていくことになります。私はこれは、科挙という超難関試験を突破することだけを考えて勉強するようになったエリート中心主義に失敗の原因があったと思うのです。

 既存の枠組みの中で、試験を突破していいところに入り、そこで同じような教育を受けていた仲間との競争に勝って出世して――という志向の人材を集めてしまうと、大きな変革の時代には対応できません。全体として大きく躓いてしまうのです。なぜなら、こういう教育の中からは、全体の枠組みを考えたり作ったり、新しいチャレンジをする人材は生まれてきにくいからです。

 かつて日本人は学ぶことを「学問をする」と言っていました。学問とは、問いを学ぶ、ということです。そこには、「自分で問題を見つけ出し、その答えを自分で考える」というニュアンスが含まれています。

 しかし昭和の後半から平成の時代の学びは、「学問」ではなく「勉強」でした。これは、自分で問いを立てたりすることはなく、与えられた問題に対する正解を覚える・選ぶという行為です。あらかじめ決まった正解を、どれだけ多く覚えられるかを競うのが「勉強」でした。こういった「勉強」中心の教育になってしまったことが、日本凋落の原因だと私は感じています。

 たとえ答えが見つからなくとも、自分で問いを立て、自分で考える。自立的にものごとを考え、自ら行動を起こせるような人材を育てる教育こそが、本当は必要だったのです。

 ちなみに、猛烈な経済成長を実現している現代の中国の教育ですが、実はこれも「勉強」型の教育スタイルです。一人っ子政策が続いてきたお陰で、中国の家庭では一人の子どもの教育に多額の資金を投じます。そのため語学のような基礎学力などではものすごくレベルの高い人材が非常にたくさん生まれています。

 ただし、それでも激しい受験競争を勝ち抜くことが“ゲーム”の本質になっていて、例えるなら日本の受験競争システムをもっと激しく大規模にしたようなものです。そのため若者たちは、ゼロベースから自分で思考していくという面では、ちょっと弱いような印象です。今はイノベーティブな野心家がたくさんいますし、人材の層が厚いこともあり、しばらくは中国の成長は続くと思いますが、このままの教育システムが続けば、長い目で見れば日本のように時代の変化に取り残されてしまう可能性があるのではないかというのが私の予想です。

 それはさておき、日本の教育システムが時代の流れに食らいついていけないようなものであるならば、元号が変わる今こそ、変革していく絶好の機会です。

消滅した「人物教育」の機会

 では、どう再建するべきか。

 私が考えるポイントは2つです。1つは、自由な教育の推進です。

 現在の教育は、私立大学であっても文科省の規制の中で行われています。教育内容や単位数、教員となるための論文の数など、あれこれ細かく縛られているのが実態なのです。

 しかし、教育はもっと自由度があってしかるべきでしょう。幕末は、各地の藩校や私塾が、それぞれの哲学に基づいた教育を施し、そこから国を引っ張る人物が育っていったのです。教育に多様性が多くの有為な人物を生みました。学校にもっと独自性を発揮させ、自立的に考え、行動できる人物を育てるべきです。

 もう1つのポイントは、人物教育の推奨です。というのも、なぜ幕末や戦後の混乱期に個性的なリーダーが生まれたのかを考えると、それは家庭教育と地域教育がしっかりしていたからではないか、と思うのです。

 日本に学制が発布されたのは明治5年(1872年)です。それまで義務教育はありません。寺子屋などで読み書き算盤を習わせる習慣はありましたが、それ以上に地域や家庭での「社会教育」が機能していたのではないかと思うのです。その中心が人物教育です。

 つまり、自分の父母、祖父祖母や先祖の立身出世話や失敗談といったファミリーヒストリー。あるいは地域のために尽力した地元の偉人にまつわる伝承。こうした身近な人たちの生きざま、人生観といったものは、対象が非常にリアルであるがために、感情移入しながら心に刻み付けることが出来ます。それは、一人の人間が成長していく過程で、極めて大きな影響を与えるものです。

 自身のことを振り返ってみると、両親は典型的なニュータウン族で、都心からちょっと離れたベッドタウンで私は育ちました。そのため先祖のことをあれこれ教えてくれる親戚も身近におらず、周りも同じような家庭ばかりですから地域の偉人にまつわる伝承を聞くこともありませんでした。結局、「人間」とか「生きざま」について学ぶ機会があまりありませんでした。

 昭和の初期のころまでは、誰もが当たり前のようにそういう機会に接していたはずです。その機会が急激に消失していったことで、日本人の人間性の厚みが縮小していったように思われるのです。

 ポスト「平成」の時代は、AIが発達する時代です。その時代には、単なる知識やノウハウを持った人間ではなく、人の生き方、社会の在り方を自分自身で考えていけるような人材の存在が重要になるはずです。今の教育システムでは不十分です。私自身は、8年前に青山社中リーダー塾を立ち上げ、自ら塾頭として教鞭を取っていますが、そうとう思い切った教育改革を社会全体で考えていかなければならないと痛切に感じています。

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