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古賀茂明「安倍政権では民主党政権下の実質賃金を上回れない現実を報じないメディア」

AERA dot. のロゴ AERA dot. 2018/02/12 07:00 AERA dot.

 2月7日に厚生労働省が発表した毎月勤労統計調査(毎勤統計)の速報値によれば、2017年の実質賃金は、前年比0.2%の減少だった。「実質賃金2年ぶりマイナス」という見出しを付ける新聞がほとんどだったが、これは明らかに安倍政権を忖度したものだ。2年ぶりマイナスと言えば、マイナスになったのが珍しく2015年と昨年だけがマイナスになったかのような印象を受ける。

 しかし、安倍政権の5年間で、実質賃金がプラスになったのは一昨年1回だけ。あとは全部マイナス。しかも下げ幅は極めて大きい。民主党政権の最終年である2012年の実質賃金指数104.8から昨年の指数100.5まで、比率でみると実に4.1%も下がっているのだ。

 しかし、その点を伝える報道はほとんどない。朝日新聞ですら、昨年一年のことしか触れず、しかも名目賃金は0.4%増えたが、電気料金やガソリン価格の上昇で消費者物価が上がったので実質賃金指数がマイナスになったと解説している(2月7日朝日デジタル)。物価上昇があったので仕方ないという印象操作だ。

 だが、よく考えてみれば、エネルギー価格が上がったのはアベノミクスの第一の矢で円安になった影響も大きい。そもそもアベノミクスは消費者物価上昇率2%を目標にしていて、5年経った今もそれを実現できていない。もしもこれが実現していたら、実質賃金は5%以上のマイナスになっていたはずだ。

著者:古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。元報道ステーションコメンテーター。最新刊『日本中枢の狂謀』(講談社)、『国家の共謀』(角川新書)。「シナプス 古賀茂明サロン」主催 © dot. 著者:古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。元報道ステーションコメンテーター。最新刊『日本中枢の狂謀』(講談社)、『国家の共謀』(角川新書)。「シナプス 古賀茂明サロン」主催

 つまり、アベノミクスではどう転んでも労働者の実質賃金を上げることはできないのではないかという不安がどんどん高まる結果が出ているということだ。

 実は、昨年2月に2016年の実質賃金について発表があった時も日本の大手各紙は「実質賃金5年ぶりに上昇」という忖度報道でアベノミクスでついに労働者の生活が豊かになったと勘違いさせるような報道をしている。もちろん、この時も4年続いたマイナスがわずかに戻っただけで安倍政権になってからの通算では大幅マイナスになっているということは報道からは完全に除かれていた。

■人手不足と働き方改革で上がるのは名目賃金だけ

 安倍総理は、経団連企業などに3%の賃上げを求めている。しかし、こうしたうわべだけのパフォーマンスではいくら頑張っても実質賃金は上がらない。というか、上げられないのだ。

 考えてみれば当たり前の話で、企業は儲からなければ賃上げはできない。一度賃上げすると下げるのは困難だから、一時金であるボーナスはともかく、先行きによほど自信がなければベースアップは難しい。せいぜい物価上昇率に合わせて賃上げするのが精いっぱいだろう。それだと実質賃金は上がらない。

 日本企業の業績は好調だが、これはほとんど円安と海外経済の好調さに支えられている。なにしろ、民主党政権時代は1ドル80円だったのが、アベノミクスで120円まで下がった。これは、国際競争の観点では、日本製品のダンピング状態になる。また、労働者の給料は、ドル換算では3分の1下がったことを意味する。

 そのメリットを享受した経団連企業は、今や1ドルが110円を切ると大変だと言って賃上げに慎重になっている。

 これは何を意味するかと言えば、日本の大企業が、依然として途上国型の価格競争をしていることを示している。だから、円高で競争力が失われるのが怖くて賃上げができないのだ。

 毎勤統計で比較可能な最も古い数字である1990年の実質賃金指数111.0。2017年は100.5だから、27年経って9.5%も実質賃金が下がっているということになる。もちろん、非正規雇用者の割合が増えている影響もあるが、こんなに実質賃金が下がったままである国は珍しい。

 実は、これが日本が先進国になれそうでなれないまま没落へと向かっている一つの証となっている。

 途上国は、何よりも経済成長を最優先する政策を採る。社会保障、環境、労働などの政策は後回しだ。労働者も、働けば給料が増えるから、労働条件が多少悪くても文句を言わずに働く。子どもは多い方が生活が豊かになるから、出生率も高い。その結果人口が増えるから、いわゆる「人口ボーナス」もあって高成長を遂げることができる。

 そうした段階を経て、経済がある程度の規模に達し、国民一人当たりGDPも上がって豊かになってくると、必ず出生率が下がり、やがて人口減少時代を迎える。社会も成熟して環境意識も高まり、労働条件を向上させようという世論も高まる。人口オーナスと呼ばれる人口減がそれに拍車をかける。

 こうした状況を受けて、欧州先進国は、政府も企業も抜本的な改革に取り組まざるを得なかった。高い賃金と短い労働時間という高い水準の労働条件を前提として国際競争に勝ち抜く企業を作るという非常に難しい課題に取り組んだのだ。その間の苦しみは長期間続いた。概ね20年はかかったのではないだろうか。

 その結果、英独仏、北欧などの諸国は概ねその転換を成し遂げたと言ってよいだろう(もちろん、ドイツ以外は、今も苦闘は続けているが)。

 こうして生まれ変わった国の特色は、「人を大切にする社会」を目指していることだ。

 人が少ない=人は貴重=労働条件は高くて当然という図式が成り立っている。高い労働条件を提示できない企業は淘汰されて当然ということになる。それが先進国なのだ。

■アベノミクスの劇薬と詐欺師の言葉

 日本も90年代以降、同様の問題に直面していた。今日の事態はもちろん30年以上前から予見できた。私は、通産省(現経産省)で課長補佐の時(1991年)に、「時短リストラの時代」というレポートを出して、労働時間の短縮が喫緊の課題だと警鐘を鳴らした。このレポートは衆議院予算委員会の総括質疑でも取り上げられ、共産党の不破委員長に褒められて肝を冷やしたことがある(笑)。

 しかし、その後の自民党政権と経団連企業は、本来立ち向かうべき課題から逃げ続け、人口減少が確実であるにもかかわらず、それに対する備えを怠った。さらに、現に減少に転じた後も、労働条件を上げるのではなく、請負や派遣を拡大して労働コスト削減で競争力を維持しようとしたのだ。

 しかし、それでも日本の基幹産業である電機産業などが韓国、台湾、中国などに連戦連敗で、どうしようもない状況に陥った。そこで繰り出したのがアベノミクスの円安政策だ。これは前述した通り、国際的に見た労働コストを一気に3分の1カットする劇薬だった。

 劇薬という意味は、この円安政策で輸入食料品が高騰し、労働者の生活を急激に苦しくするからだ。しかし、それに対して、安倍政権は、「もう少し待てば、賃金が上がります」という詐欺的な言葉で何とか批判を抑え、期待をつないだ。

 もちろん、5年待っても実質賃金は上がらなかった。エンゲル係数(家計消費支出に占める飲食費の割合。これが高いほど生活水準は低いと考えられている)が上がったのは、円安政策の当然の帰結で、アベノミクス推進者にとっては、労働者の生活水準の切り下げによる企業利益の確保という展開は予定通りだったと言っても良い。

 今後を見ても、2019年に消費税を2%上げれば、消費者物価も1%以上上がる。今までのマイナス4%を取り戻し、さらに増税分も超えて賃金が上がることは考えにくい。そう考えると、安倍首相が自民党総裁に3選されて21年まで首相を務めても、民主党政権下の実質賃金を上回ることはまずありえないという状況だ。

 人口減少による人手不足で、単純労働者を中心に賃上げしなければ人が集まらない状況になっている。これは安倍政権にとっては幸運なことだという見方をする人もいるが、欧州諸国の苦難の歴史を知らない人の言うことだ。

 今やドイツ車と言えば高級車というイメージが定着した。北欧の車は安全な車というイメージだ。これに対して、日本の車は、高品質の割に「安い」というイメージが付きまとう。トヨタがレクサスブランドを作って高級車ブランドを確立しようとしたが、30年近く頑張っても販売台数はドイツの3大高級車ブランド(ベンツ、BMW、アウディ)の半分にも届かず、全く歯が立たない。「高級車の割には安い」というのは決して悪いことではない。だから北米では何とか売れている。しかし、欧州では売れない。「高級車の割には安い」という概念矛盾のイメージは今でも払拭できないのだ。

 その逆に、ベンツは高級車メーカーだというイメージがあるから、ベンツが作れば小型大衆車でも日本車よりも格段に高く売れる。

 日本最強の企業と言われるトヨタでさえ、高賃金でも儲かるビジネスモデルを作るのには相当苦労している。しかも、20年くらいかけて欧州諸国が克服した課題をわずか数年でクリアしろと言われているのだから、その難度は、ウルトラH級と言っても良いだろう。

 とりわけ、中小企業にとっては、人手不足の中での新たなビジネスモデル作りなど考えも及ばないというところも多いはずだ。

 つまり、今まで経験したことのない淘汰の時代が始まっているのだが、無邪気に「働き方改革」、「生産性革命」などと叫んでいる安倍総理の姿を見ていると、とてもそんなことを理解しているようには見受けられない。

 それがまた心配を増幅させるのだ。

■先進国に変われなかった元凶は経産省と経団連

 一時は世界最強の製造業と言われた日本の産業界がなぜ欧州企業とは全く異なり、今日まで低賃金・長時間労働を続けてきたのだろうか。

 その根底にある違いは、「良いものを安く」という日本企業の哲学が完全に途上国型だったということだ。この哲学での成功体験があまりにも大きかったため、「良いもの、他人と違ったものを一円でも高く」という哲学がいまだに定着しない。

 それを象徴するのが経産省の産業政策だ。

 21世紀に入っても、日本の企業の競争力の源泉は「匠の技」と「擦り合わせ」だと声高に唱えた経産省。アップルのパソコンに使用された鏡面仕上げが燕三条の職人の「ミクロン単位の手ワザ」によるものだとか、「川口の鋳物工場の精密な金型技術」が世界一の日本製造業の基盤だなどとはやし立て、これらの企業を表彰し、それを宣伝する冊子を作ってはしゃいでいた。

 そこでは、「擦り合わせ」や「匠の技」は忠実な労働者の「血と汗と涙の結晶」という「美しい物語」が常にセットとなっていた。「汗水たらす」ことが美徳だという哲学が産業界全体を覆っていたのだ。自ずと長時間の滅私奉公が美徳だという世界が維持されてしまった。

 一方、当時欧米の先進企業が力を入れていたのは3Dプリンターの開発とその応用だった。

 今や、3Dプリンターの分野では日本は完全に出遅れた。日本ではおもちゃに毛が生えたようなものだと考えている人もいるかもしれないが、何年も前から、米GEは、航空機エンジン部品の製造を3Dプリンターで行っている。そのおかげで歩留まりもコストも大幅に削減されたという。3Dプリンターで製造すると、切断、切削、研磨、溶接などの工程が大幅に省略できる。日本のお家芸がスルーされてしまうわけだ。

 また、経産省が何かというと旗印にした「日の丸連合」も日本産業の凋落を加速した。世界は「オープン・イノベーション」の時代で、国籍を超えて最先端の強い企業や独立性の高い個人が連携しながら新技術や新サービスを開発していく時代に入ったのに、日本は負け組の日本企業を集めた「日の丸連合」で失敗を重ねた。家電、液晶、半導体、太陽光・風力発電など、最強を誇った産業がことごとく潰されていった。

 しかし、こうした経産省の過ちは、実は経団連企業の経営者たちのできの悪さの証でもある。なぜなら、経産省の政策の多くは、経団連企業の要望をただ具体化しただけのものが多いからだ。もちろん、それは天下りポストの提供の見返りに行われている。

 経団連企業の経営者は、高い賃金を払っても儲かるビジネスモデルなど思いもよらないのだろう。ひたすら経産省に対して、従来のビジネスモデルの維持を前提とした労働コスト削減のための政策ばかりを要求してきた。その結果が今日の円安政策となっている。

 本来は、そうした企業経営者はとっくの昔にクビになっていなければならないのだが、日本ではなぜかいまだに生き延びているのだ。

 しかし、こうした経営者が日本の産業を牛耳っている限り、日本が、「人を大切にする社会」を目指す「先進国」になることは難しい。

 今、真に求められているのは、「働き方改革」ではなく、「経営者の淘汰」なのだ。

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