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役職者を「さん付け」する会社が崩壊するワケ 「理」の世界に「情」を持ち込むべきではない

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2017/04/13 江口 克彦
「さん付け」で呼び合う会社は崩壊する?(写真 : xiangtao / PIXTA) © 東洋経済オンライン 「さん付け」で呼び合う会社は崩壊する?(写真 : xiangtao / PIXTA)  

 このごろ、会社において、また「さん付け」がいいというような風潮が出てきたように思います。大抵の場合、経営がうまくいかなくなると、「うまくいかないのは、社内の風通しが悪いからだ」「部下が上司に、自由にものが言えないからだ」などという理由で、「じゃあ、さん付けにしよう」となるようです。

 しかし、筆者の34年におよぶ経営者としての経験から言えば、肩書で呼ぶのではなく、「さん付け」で呼び合う会社は、大抵その後、倒産するか、衰退するか、あるいはそれ以上の発展はしないということです。

 もちろん、「さん付け」は、家族で経営している、あるいは、5、6人で経営をしている零細企業では当たり前と言ってもいいでしょう。いわゆる「パパママ会社」ですから、むしろ肩書で呼び合わないほうがいいかもしれません。

自らの首を絞めるようなもの

 しかし、10人、20人を超えて、中小企業、まして大企業において「さん付け」をすれば、自らの首を絞めるのと同じだと思います。もちろん、大企業の飲料メーカーのS社などのように、役員以外は「さん付け」のところもありますが、「役員以外」ということは、部分的には「さん付け」は行われていないということ。そのS社が「さん付け」をしているのは、「降格」を前提にしているからですが、それが業界トップになれない要因のひとつではないかとも私は思っています。

 ついに台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に身売りしてしまいましたが、シャープが、経営が行き詰まったとき、「やはり社内の風通しが悪いのは、肩書で呼び合うからだ」と2013年に「さん付け運動」始めました。しかし、シャープはどうなったでしょうか。ここに改めて書き記す必要はないでしょう。

 では、なぜ「さん付け」が、会社の崩壊につながるのか。

 結論から言えば、それぞれの役職にある人たちが、それぞれの「役職の重さ」を感じなくなるからです。部長と呼ぶ。課長と呼ぶ。それは、確かに「尊称」という意味もあるでしょう。「偉そうに」という部下からの思い、「俺は部長だ」「俺は課長だ」という尊大さが感じられるということもあるでしょう。しかし、それは、部下の責任です。上司に、そのような尊大な意識を持たせるのは、部下の責任であるということです。

 ごまをする、よく思われようとする、そのような卑屈な意識を持つから、上司は「偉そうにする」「尊大ぶる」ということになるのです。そうではなく、「部長」「課長」と呼ぶ際には「あなたは部長としての自覚がありますか」「責任感がありますか」という意識をこめて呼べばよいのです。部下がそのような思いで肩書で呼ぶということであれば、「部長」「課長」と呼ばれて、彼らは「尊大な言動」をとることはできなくなるはずです。

 また当然のことながら、課長の上司に当たる部長も、課長のことを肩書を付けて呼ぶべきなのです。それは尊称ではありません。「さん付け」をしてしまえば、「責任感なき部長」「自覚なき課長」を生み出します。当然、会社全体、組織全体が「無責任集団」になります。会社が「無責任集団」になれば、やがて衰退、はては倒産、あるいは現状のままで発展成長しないのは当然でしょう。

取引先は「さん付け」をしてくる相手を軽く見る

 「さん付け」の問題点は、やがてその社員は取引先に対しても「さん付け」を始めてしまうことです。重要な取引先との交渉の席で社長、部長、課長に肩書で呼ばなくなってしまう。「ここはひとつ、岡田部長、ご理解いただけないでしょうか」と言うべきところを、「ここはひとつ、岡田さん、ご理解いただけないでしょうか」と言い出してしまう。

 取引先は「さん付け」をしてくる相手を軽く見ることでしょう。よく言えば友達感覚で親しく話をしているようにも感じるでしょうが、心のなかで「この人、どれほどの責任をもっているのだろうか」と思案するかもしれない。そのような状況で、取引がうまくいくはずはありません。

 「さん付け」の問題点は筆者の実体験に基づいています。松下幸之助さんからPHP研究所の経営を任されたときのことです。創設以来、30年間、ほとんど赤字赤字の連続でした。売り上げも最高9億円。どうするか。いくつもの手を打ちましたが、そのうちの1つが、それまで30年間続けられていた「“さん付け”をやめる。これからは肩書で呼ぶようにする」ということでした。

 経営を引き受けて、3年、役職者の人たちから、強烈な責任感がないように思える。なぜだろうといろいろ考えた結果、「さん付け」にあるという思いに至りました。新入社員も「加藤さん」、課長も「岡田さん」、部長も「山田さん」。そこには新入社員の先輩に対する意識も敬意も希薄。課長は課長としての、部長は部長としての責任も誇りもありません。

 当たり前のことです。会社組織というものは「理の世界」です。そこに「情の世界」である家庭や友人関係の感情を持ち込んでしまっては、会社は成長しない。そのことに思い至ったのです。

 最初、社員からの抵抗がありました。しかし、先ほどの「なぜ、肩書で呼ぶ必要があるのか。それは、偉いから肩書で呼ぶのではない。責任追及のために肩書で呼ぶのだ」という話を繰り返ししていくうちに、社員はごく自然に「肩書」で呼び合うようになり、そして結果として、業績は、みるみる上昇を続けました。あれよあれよと、私自身が驚くほどに伸び続け、ついには34年間で250億円の売り上げ、利益率もおおむね8%を確保し続けました。

 むろん、成長発展のためにさまざまな「情の要素」もふんだんに取り入れ、手を打ちました。ですから、「さん付け」をやめたことだけが「発展の要因」とはいえません。しかし、少なくとも「責任感なき組織」から「責任感ある組織」に大転換したことは確かだということです。

風通しが悪いのは「社長の責任」

 冒頭にも申し上げましたが、この「さん付け」を導入しようと考えるきっかけは、経営が厳しくなり、倒産の可能性すら出てきているようなときのようです。そして、曰(いわ)く「このような状況になったのは、社内の風通しが悪いから」と社員が言い出し、部下がそのように叫び出すからです。

 社長も上司も、藁(わら)にもすがりたいときですから、「そうかもしれない。やってみよう」ということになります。その後、倒産を免れて低空飛行を続けていれば、「肩書で呼ぶ」という状態には戻しにくいので、漫然と「さん付け」をしている会社も多いことでしょう。

 が、本来、「風通しのいい・悪い」は、肩書とは関係ありません。風通しが悪いのは、「社長の責任、上司の姿勢」に尽きます。社長が、方針を明確にして社員を導く。つねに、社員に対して、心のなかで手を合わせる。感謝の気持ちをもって、社員と接する。「頑張っているね、なにか困ってることはないか」と声を掛ける。上司が、部下を激励しながら、ともに仕事に取り組む。部下の話に耳を傾ける。意見を部下に積極的に尋ねる。なにより、「成功は社員、手柄は部下」と思い、感謝する。そして、「失敗は社長である私の責任」「うまくいかなかったのは、上司である私の責任」と思い、社員に、部下に、頭を下げる、お詫びする。

 その姿こそ、「社内の風通し」をよくする決め手だと思います。要は、「さん付け」をするより、社長や上司の「意識改革」をしなければならないということです。社長や上司が、謙虚な誇りと責任感をもって、そして、思いを込めて経営に、仕事に取り組めば、おのずと経営は成功し、業績は上がるでしょう。行き詰まった業績も、必ず打開することができるでしょう。

 組織の風通しをよくするための「さん付け運動」は、百害あって一利なしということです。ただし、組織内、社内での「さん付け」否定論であって、決して、組織の外や社外における、たとえば飲み会や社員旅行における「さん付け」までを否定しているものではないということを最後に申し述べておきます。

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