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未払い残業代の「時効延長」で悲鳴上げる経営者たち――セブン問題の再発防げるか

ITmedia ビジネスONLiNE のロゴ ITmedia ビジネスONLiNE 2020/03/09 14:18
未払い残業代の「時効延長」によって経営者たちは悲鳴を上げている © ITmedia ビジネスオンライン 未払い残業代の「時効延長」によって経営者たちは悲鳴を上げている

 政府は残業代などの未払い賃金の規制を強化する法案を今国会に提出し、2020年4月に施行される見通しとなった。具体的には労働基準法を改正し、労働者の賃金請求権の時効の消滅期間を現行の2年から原則5年間、当面は3年間に延長するものだ。

 例えば会社が残業代を支払っていないとして労働基準監督署の是正指導を受けた場合、支払われる割増賃金はこれまでは過去2年分に限定されていた。今回の法改正で未払い残業代があれば過去3年前にさかのぼって支払う必要がある。

●3年に延長された理由

 なぜ2年から3年に延長することになったのか。これは同じく20年4月に施行される民法の改正が大きく関わっている。改正前の民法では「一般債権の消滅時効は10年、月またはこれより短い期間によって定めた使用人の給料に係る債権については1年の短期消滅時効」とするとしていた。

 だが、民法の特別法である労基法は、1年では労働者の保護に欠け、逆に10年にすると使用者に酷だということで「賃金(退職手当を除く)、災害補償その他の請求権は2年間、この法律の規定による退職手当の請求権は5年間行わない場合においては、時効によって消滅する」(労基法115条)と規定した。

 ところが17年に改正された民法では「使用人の給料等に係る短期消滅時効は廃止」した上で「(1)債権者が権利を行使できることを知った時から5年間行使しないとき(主観的起算点)(2)権利を行使することができる時から10年間行使しないとき(客観的起算点)――債権は消滅」することにした。つまり、労基法の賃金請求権の2年の時効の根拠であった民法の短期消滅時効が廃止された以上、民法に合わせて最低でも5年に変更しなければいけなくなったのだ。

 労基法の取り扱いをどうするのかについてはこの間、政府内で議論されてきた。まず厚労省の有識者による検討会で議論が行われ、続いて公益代表委員、労働者代表委員、使用者代表委員の3者による厚労省の労働政策審議会で19年7月から法改正が審議されてきた。

 検討会の「論点の整理」では「将来にわたり消滅時効期間を2年のまま維持する合理性は乏しく、労働者の権利を拡充する方向で一定の見直しが必要ではないか」と提起し、20年4月の民法改正の施行期日を念頭に置きつつ労働政策審議会での検討を促していた。

 ところが労政審では使用者代表委員と労働者代表委員の意見が真っ向から対立した。労働者代表委員は「労働者保護を目的とする労基法が民法の定める一般的な債権の権利保護の水準を下回ることは許されない。改正民法と同様、5年の消滅時効期間とすべき」(労政審「これまでの主な意見と論点」2019年12月24日)と主張。

 これに対し、使用者代表委員はこう主張した。

 「仮に民法どおりに改正する場合、使用者としては適法に賃金を支払っているつもりであっても、万が一紛争が起きてしまった場合に備えてリスク管理しなければならないという事情もあり、企業実務には非常に大きな影響がある。こうした企業の実態を踏まえ、現行の2年を維持すべき」(同)

●経営者の悲鳴 支払う残業代は莫大に

 労使の攻防は19年の12月に入っても続いたが、労使の意見が対立したまま越年すると、20年4月の施行も危うくなる。そこで12月24日の労政審で公益代表委員から急きょ出されたのが今回の法律案要綱と同じ内容の見解だった。

 法律案では以下の内容になっている。

1.労働者名簿、賃金台帳および解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類の保存期間は5年間に延長する

2.付加金の請求を行うことができる期間は、違反があった時から5年に延長する

3.賃金の請求権の消滅時効期間を5年間に延長し、消滅時効の起算点は請求権を行使することができる時(客観的起算点)とする

4.経過措置として、労働者名簿等の保存期間、付加金の請求を行うことができる期間、賃金(退職金を除く)の請求権の消滅時効期間は、当分の間、3年間とする

 付加金とは、割増賃金などを支払わない使用者に対して違反があった時から、労働者の請求によって未払金のほか、これと同一額の支払いを裁判所が命じることができる制裁金のことだ。一般的には割増賃金と同額の付加金を請求できる。「権利を行使することができる時」とは「各賃金支払日」を指す。

 つまり、今回の法改正案では消滅時効期間などは民法に合わせて5年とする一方、使用者側の意見を踏まえて当分の間3年とした折衷案だった。当分の間とは、法律案では「法律の施行後5年を経過した場合に」検討を加え、必要な措置を講ずるとしている。ということは20年4月から3年に延長され、25年以降に5年に延長される可能性がある。

 使用者側の本音は言うまでもなく、2年から5年に延びると支払う残業代が莫大な金額になり、それは困るというものだ。厚労省は毎年「監督指導による賃金不払残業の是正結果」を公表している。18年度に是正指導を受けて100万円以上の割増賃金を支払った企業は1768社。支払い総額は約124億5000万円だ。対象労働者数は約12万人。1企業あたりの平均支払い額は704万円、労働者1人あたり10万円となっている。

●ヤマト未払い残業代230億円 セブンも悪質事案

 08年以降の10年間では毎年100億~200億円の支払いで推移している。突出しているのが17年度の446億4000万円だ。実はこの年にヤマト運輸のセールスドライバーのサービス残業問題が発覚。ヤマトホールディングスが未払い残業代約230億円を支払い、総額を押し上げている。

 もちろんこの数字は過去2年分の未払い額だ。4月から消滅時効期間が3年に延長されると、仮に18年度の1企業の平均支払額は704万円から1056万円、5年延長だと1760万円に跳ね上がる可能性がある。労働者1人あたりでは3年で15万円、5年で25万円になる。加えて、裁判所に訴えられると倍額の付加金と年利6%の遅延損害金も請求される。

 実は未払い残業代では19年12月10日、セブン-イレブン・ジャパンの「残業代隠し」とも呼ぶべき悪質な事案も明らかになっている。

 セブンで働くアルバイトやパートの従業員の残業代を含む給与の計算と支払いは本部が代行している。ところが残業代に加味されるはずだった「精勤手当」と「職責手当」の計算方法を誤り、長らく支給されていなかった。労基法では割増賃金を計算する際、家族手当や通勤手当、住宅手当などは除外できるが、精勤手当や職責手当などは除外できる手当に入っていない。

 当初セブンは精勤手当と職責手当を除外して割増賃金を支払っていたものの、01年6月に労基署から支払うように是正勧告を受け、それ以降、手当も含めることになった。ところが残業代1時間あたりの割増率の法定最低限は1.25倍以上であるのに、本部は0.25倍で計算し、支給するというミスを続けていた。

 悪質なのは01年に労基署から是正勧告を受けても、それ以前の一部の残業手当も支払わなかった上に、割増率を低く抑えたまま今日まで放置していたことだ。しかも未払いは1970年代の創業時から続いていたという。

 セブンは記録が保存されている12年3月以降の約3万人について、遅延損害金1.1億円を含めて計4.9億円の未払い額を支払うことにしている。12年以前の未払い額についても元アルバイトやパートの申告があれば受け付けると言っている。

 セブンは現行の時効消滅期間の2年をさかのぼって支払うことにしているが、自らのミスである以上、当然だろう。しかし、そのこと以上に残業代の計算式をよく知らない従業員に長年支払わなくても済んでいたという事実である。こうした経緯を考えると、やはり現行の時効消滅期間の2年というのは労働者にとって不公平というしかない。

 さすがにここまで悪質な事案がないことを祈りたいが、今後、企業は時効の3年延長を見越した対策が急務になる。企業の反応もさまざまだ。大手建築関連業の人事担当者は「退職金の時効は5年だが、それに関連する賃金資料もそれに合わせて5年間保存しているはずだ。3年前まで遡及するといっても事務手続き上はそれほど問題にならない。残業時間の割増金をきちんと支払っていればよいこと。大企業や中堅企業を含めて3年や5年になってもしょうがないと思っているところが多いのではないか」と、時効期間延長はやむなしという考えだ。

●「退職後に提訴」も

 一方、大手医療・介護サービス会社の人事担当者は「クライアントの病院で働く医療事務と介護施設や訪問介護に従事している社員が全国に1万人超いるが、シフト勤務の対象者も多い。訪問介護の社員はタブレットを持たせ、利用者宅に何時に入り、何時に終了したという報告をさせているが、それでも時折、ケアレスミスで労働時間を完璧に把握できないこともある。その結果、3年や5年前にさかのぼって未払い賃金を請求されることになりかねない」と不安を隠さない。

 20年4月から大企業に続いて中小企業の「時間外労働の罰則付き上限規制」が施行される。行政の監視も今まで以上に厳しくなり、労働基準監督署から違法状態の指摘を受けると企業の負担も今まで以上に重くなる。さらに退職後に提訴されることが多い「名ばかり管理職」問題も要注意だ。管理監督者問題を含めて適正な人事・賃金管理の在り方がこれまで以上に厳しく問われることになる。

(ジャーナリスト 溝上憲文)

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