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燃料電池は終わったのか?

ITmedia ビジネスONLiNE のロゴ ITmedia ビジネスONLiNE 2018/02/26 07:52 アイティメディア株式会社
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 2014年の年末。トヨタは世界初の燃料電池乗用車「MIRAI」を発売した。「MIRAI以前にも燃料電池車はあった」と言う人がいるかもしれないが、MIRAIが登場するまでの燃料電池車(FCV)は、車両価格は数億円。しかも販売ではなく、リース運用前提で個人は購入できなかったりというレベルで、その実態は実証実験にすぎず、とても市販車とは呼べなかった。

●MIRAIと国策

 正直なところ、筆者もMIRAIのデビューには驚いた。トヨタにしてみればあのクルマを720万円で売るのは大赤字なはず。事態は完全に政治問題である。

 燃料電池が次世代主流と目されて早30年。燃料電池の規格を巡り、日欧は長きに渡って対立してきた。さまざまな憶測を呼び、本当のところは分からないが、どうも欧州が燃料電池の規格争奪戦を諦めたことによって、日本が燃料電池の国連規格をもぎ取ったらしい。その結果、日本主導で「世界技術規則」が策定され、日本方式の燃料電池と水素スタンドが世界規格になったわけだ。

 この種の戦いにめっぽう弱かった日本の行政庁にとって快挙である。となれば、経済産業省はその沽券にかけて実用FCVの第1号を他国に持って行かれるわけにはいかない。だから、言ってみれば政府の都合で、あるいは世界規格の見本品として、MIRAIをそのタイミングで発売しなければならなくなった。トヨタの採算とは別次元のところで事態は進行していたのである。

 ゴリ押しで要求を通した政府は、アメも用意する。すぐさまMIRAIに対する補助金政策を決めた。国から約200万円、地方自治体から約100万円(自治体による)、合わせて約300万円もの補助金が発売時にすっかり整っていたのはそういう政治上の事情があったからだろう。

 トヨタがなぜかMIRAIの技術特許を公開したことが一時取り沙汰されたが、これも答えは簡単。世界基準を取ってしまった以上、世界の自動車メーカーが同方式でクルマを作れるように情報開示しなくてはならない。「基準は決めたけれど、どうやって作るかは秘密」というわけにはいかない。

 トヨタとしては渋々、虎の子の技術情報を開陳することになったのである。トヨタの売り上げは世界各国の税収ランクに並べてみてもポーランド、ノルウェー、デンマーク、フィンランドなどを抑えて17位オーストリアに匹敵するレベル。当然日本政府のかじ取りにも多大な影響を与える。売上高27兆円ともなると、もはや私企業とはいえ、政府と不可分。国の言うことを無視できない代わりに便宜も図られる。それが幸せなのか不幸なのかは分からないが、トヨタには選択の余地はもはやないのだ。

●トヨタの特異な体質

 さて、そうやって世に送り出したMIRAIだが、ここのところ話題に上ることは少なくなった。「燃料電池は終わった」とか「トヨタは選択を間違った」としたり顔で言う人が増えつつある。まあ、そう見えるのかもしれない。情報があまりにも少ないからだ。

 まずはトヨタの体質を知らなければならない。トヨタは目の前に選択肢が並んだとき、「選択と集中」という戦略は採らない。すべての可能性をしらみつぶしで同時進行させる。これはマツダが徹底的に選択と集中戦略を採って、少ないリソースを個別撃破に向けるやり方と対局にある。莫大なリソースを持つトヨタだからこそできる芸当だ。

 その戦略に至った最大の理由はハイブリッドの成功にあると筆者は見ている。プリウスは95年の東京モーターショーでそのプロトタイプが発表された。当時、既に欧州は「次世代は燃料電池」と考えていた。いや、実は欧州だけではない。世界中の自動車メーカーがそう思っていた。当のトヨタですら多分そう思っていたはずである。

 だからプリウスが出たとき、世間の目は冷ややかだった。「趨勢が燃料電池に決まった今、つなぎでしかないハイブリッドに大枚をはたいて注力するのは愚かなことだ」。そう多くの人が思ったのである。

 ところが、次世代のエースのはずの燃料電池はちっとも完成しなかった。当時燃料電池がどのくらい有力視されていたかはベンツのAクラスを見れば分かる。Aクラスはコンセプトモデルとして93年に発表され、97年に製品化された。Aクラスは床が二重構造になっており、後に燃料電池スタックをここに納めた追加モデルとしてFCVがデビューする予定だった。現実の技術開発史を知った今、90年代前半と言う時代に、FCVがそれほど完成に近づいているとベンツがなぜ考えたのかは未だに謎である。ただ、当時の世相の熱狂を思い起こせば、FCVの登場はカウントダウンにあるとしか思えなかった。しかし、待てど暮らせどFCVのAクラスは登場しなかったのである。

 「みにくいアヒルの子」呼ばわりされていたトヨタのハイブリッドが白鳥になったのはそれから間もなくだった。つなぎどころか、燃料電池がコケた後、次世代技術のエースの座はハイブリッドに転がり込んできたのである。トヨタが1000万台メーカーへと駆け上がっていく原動力になったのは明らかにハイブリッドであり、それは誰もが「愚かな回り道」と決め付けていたシステムだったのである。

 あざ笑っていたドイツ勢は完全に出遅れ、悔しまぎれに「ハイブリッドは低速な日本でだけ通じるガラパゴス技術」だと強弁し、次世代は燃料電池と宣言していた手のひらを返し、高速中心でのディーゼル優位を唱え、ダウンサイジングターボだと主張し、そしてまた宗旨替えして電気自動車(EV)だと騒ぐ。燃料電池でしくじり、ディーゼルでしくじり、ダウンサイジングターボもまた尻すぼみの中で、次はEVだと喧伝しながら、実際には48Vのマイルドハイブリッドにまい進中。それが欧州の現実だ。

 ハイブリッドの一件以来、トヨタは誰の見立ても信じない。トヨタ自身の見立てもだ。だからダメそうな技術であっても全力を注いで開発する。そのために人事システムまで変えた。そうやって選択肢を総なめでやれば、成功しそうな技術と芽が出なさそうな技術に必ず分かれる。トヨタは成功か失敗かは問わないことにした。着手時に分の悪そうな技術であっても、そこにフルスイングで臨めば、結果にかかわらず高く評価する。外れ技術の担当だとばかりに無気力に仕事をしたら失格者となる。それは全選択肢を捨てないトヨタならではの人事システムである。

●トヨタの戦略

 トヨタは今、多くの選択肢を余さず抱えて走っている。ZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)規制や、NEV(ニュー・エネルギー・ビークル)などが定められ、事実上のEV生産台数基準がある中国や北米などの地域には目標台数を達成するためのEVを開発中だ。そのほかの地域ではひとまずEVをシティコミューターに位置付ける。航続距離に不安のあるEVは、用途を都市内交通向けに限れば既に十分実用的である。30年までにEVを年産100万台まで持っていくとトヨタはアナウンスしている。

 一方で、CAFE(カンパニー・アベレージ・フューエル・エコノミー)規制のある国に対しては、別のアプローチが必要だ。企業平均燃費の規制なので、EVがいくらゼロエミッションだとしても台数が少なく、自社全販売台数の平均燃費を下げるには至らない。CAFEをクリアするには台数のハケるハイブリッドしかない。こちらは30年までに450万台を見込む。ハイブリッドのシステムももっと多様化するはずである。

 EV100万台とハイブリッド450万台。これを実現するにはバッテリーの調達がネックになる。それをクリアするためにトヨタはパナソニックと提携してバッテリーを確保した。数字のいちいちにこういう裏付けがある現実的な部分がトヨタの強みであり、調達の話など何も考えずに内燃機関中止と騒ぎ立てた欧州とはスタンスが違う。

 さて、燃料電池はどうなるのか。確かに乗用車用としてはまだ当分難しいだろう。700気圧という超高気圧の水素はその気体としての圧力自体が高リスクである。水素が燃えるかどうかは関係ない。体積あたりの熱量ならガソリンの方が遥かに危険だ。高圧が問題なのだ。輸送−給油(水素だが)−車両のメインテナンスのすべてにそのリスクは付きまとう。トヨタは一体それをどう解決しようとしているのか?

 トヨタが今、水素の未来として描いているのはプロユースである。工場内のフォークリフト、建設現場の重機、トラック、バスなど、給油や整備の拠点が決まっており、そこにだけインフラがあれば成立するものであれば、全国にインフラを張り巡らせずとも運用できる。しかも輸送も給油もメインテナンスも機械自体の運転もすべてプロが行う。リスク管理の難易度は低くなる。

 また、これらのプロツールは稼働すべき時間に止まっていることが許されない。充電時間が長いEVには向かない。むしろそこにアドバンテージのあるFCVに向いている。

 実は製鉄や石油精製の過程で副生水素が大量に発生している。その量は400万台のクルマを稼働させるレベルだ。これが現在は無駄に捨てられている。これらをうまくエネルギーとして生かせば大きなメリットがあるのは言うまでもない。

 そしてトヨタは現在、横浜・川崎エリアで水素の実用化に向けた新しい実証実験を行なっている。港湾エリアに風力発電機を設け、そこで発電した電気で水素を生成している。風力なので当然稼働しない時間もある。そこではプリウスのバッテリーをリユースした大容量のバッテリーを備え、風車のリアルタイム発電と補完しながら常時水素を作り続けることができる。できた水素は2トントラックの水素デリバリー車で、周辺の協力工場に定期配送される。稼働しているのはフォークリフトで、MIRAIのFCスタックを備え、工場内でゼロエミッション稼働できる。

 最初から電気で送電しないのはなぜかと言えば、風力発電の最大の問題は風任せな点にあるからだ。インフラが電力を必要としてない時間に風が吹いたら無駄になってしまう。それを水素に変換することで蓄電するという考え方だと言える。

 さらに19年からはセブン‐イレブンとジョイントしてFCVトラックによる物流と、店舗電力の燃料電池化の実験も行う。こうしたプロツールをきっかけにインフラを拡大していく先に、恐らく乗用車のFCV化の道がついていくだろう。それでも高圧タンクの問題はまだ残るが、こちらについては朗報もある。トルエンに水素を反応させることで体積を500分の1に圧縮できるという技術を研究中である。これが実用化されれば、従来のガソリンのインフラで水素を扱うことが可能になるはずで、水素の最大の問題が解決されるかもしれない。

 クルマが全部EVになるとか、そういう一色で塗りつぶされた未来像は分かりやすいが、そんな未来はきっと来ない。現在でもガソリンとディーゼルがすみ分けているように、EVやFCV、ハイブリッドなどさまざまな動力機構が、適材適所で徐々に発展していくのがリアルな世界である。

(池田直渡)

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