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“ふんわり”かき氷が大人気! なぜか「暑さ日本一」と言わなくなった猛暑の熊谷市で、いま何が起きているのか?

文春オンライン のロゴ 文春オンライン 2019/08/07 05:30 葉上 太郎

 埼玉県熊谷市の「夏」と言えば、八木橋(やぎはし)百貨店の入口に設けられた高さ4メートルの大温度計だろう。

 今年は9月20日開会のラグビーワールドカップで熊谷市が会場の一つに選ばれたこともあり、ラグビーボールをあしらったデザインだ。「猛暑にタックル!!」と大書きされている。

 ここを8月2日に訪れた。

大温度計。8月2日午前11時時点で既に34・4度を指している(八木橋百貨店) © 文春オンライン 大温度計。8月2日午前11時時点で既に34・4度を指している(八木橋百貨店)

「暑さ日本一を、市としてPRしたことはありません」

 関東甲信越地方の梅雨は7月29日に明けた。翌日から猛烈な暑さとなり、熊谷の最高気温は連日36~37度台が続く。さすが、昨年7月23日に国内最高の41・1度を記録した「日本一暑いまち」だけのことはある。

 この日も午前11時に34度を超え、最高気温は37・4度まで上がった。

 ところが、熊谷市役所は「暑さ日本一」ではなく、「暑さ対策日本一」だと宣伝している。

「暑さが日本一であることを、市としてPRしたことは一度もありません。定住施策に影響が出ますし、観光にもマイナスですから」と市の担当者が説明する。

 ええっ、そうなのか?

「あついぞ!熊谷」のキャッチフレーズもあったが……

 同市では2004年、最高気温が35度以上となる「猛暑日」を28日間記録し、当時の日本一になった。市役所は翌年から「あついぞ!熊谷」というキャッチフレーズで市民イベントの支援などを行い、太陽が汗をかいているシンボルキャラクターも「あつべえ」と命名した。

「あれは気温の暑さではなく、市民の気持ちの熱さ、人情の厚さを訴える施策でした。その後、熊谷市の最高気温が日本一を記録したため、メディアに結びつけて報じられてしまったんです」と担当者は強く否定する。

 それまでの国内最高気温は1933年、山形県山形市で記録された40・8度だった。これを2007年、熊谷市と岐阜県多治見市が抜いて40・9度を観測した。

 確かに「あついぞ!熊谷」は、その2年前から行われていた事業だった。だが、暑さに引っかけたネーミングで、支援した市民イベントも暑さに関連するものが多かった。

「暑さ日本一」から「暑さ対策日本一」へ?

 ちなみに、国内最高気温はその後の13年8月、高知県四万十市が41・0度を記録したことで、熊谷市は抜かれた。だが、昨年7月の41・1度で再び首位に返り咲いている。

 富岡清市長はこの時、「嬉しくも何ともない。『暑さ日本一』から『暑さ対策日本一』に転換したところに、ボディーブローを食らったようなものだ」と述べた。

 市長の発言通り、市が力を入れているのは「暑さ対策」だ。

 メニューは豊富で、「これだけ施策を展開している自治体は他にないと自負しています」と、担当職員が胸を張る。

ミストや休息所の設置、クールスカーフの配布……

 JR熊谷駅などの階段には、涼しさが感じられるよう市民から公募した絵画をペイントする。駅入口には霧を噴射する「ミスト散布」の装置を取り付ける。イベントなどでは人々に噴霧器でミストをかけて回る。

 熱中症予防のポイントを記したトイレットペーパーを公共施設に置く。濡らして首に巻くと涼しいクールスカーフを小学生と75歳以上の高齢者に配布する。公共施設22カ所に暑さしのぎの休息所を開設する。

 市有施設約140カ所に飲料水や冷却剤などを入れた「熱中症応急キット」を備える。全中学生に暑さ対策の知識を身につけてもらい、部活動には部単位で「暑さ指数計」を配布する。国・県と役割分担して道路に熱をさえぎる舗装を施す。市民を対象にしたセミナーを開く……。

 これらの施策で、市は数々の賞を受けてきた。

 ただし、この8月1日には市内で、49歳の男性が熱中症で亡くなった。窓を閉め切り、冷房を切った自宅で発見されたという。「市役所として可能な暑さ対策はしています。でも、個人の生活にまで踏み込むことはできないので……」と担当者は言葉少なだ。

「日本一の暑さ」で人生が変わった人も

「暑さ対策日本一」としか言わない市役所には疑問を持つ人もいる。

「奥歯に物が挟まったような言い方をしても、暑さは隠しようがありません。日本一暑いとハッキリ言って、逆に暑さを利用する。熱中症対策も十分に行う。暑くて何が悪いんですか」

 製茶店を営む小林伸光さん(48)は力を込める。

 小林さんの人生は「日本一の暑さ」で変わった。

05年に熊谷市と合併した町の“逆転劇”

 小林さんが店を構えているのは妻沼(めぬま)地区だ。05年に熊谷市と合併するまでは妻沼町だった。

 妻沼には、かつて390ほどの商店があった。だが、「妻沼線」の愛称で親しまれた東武熊谷線(熊谷-妻沼間)が1983年に廃線になると、人の流れが変わった。同時にスーパーが進出し、商店の閉店が相次いだ。「今では70店舗ほどに減ってしまいました」と、くまがや市商工会の小川恵司さん(44)は嘆く。

 小林さんの店も追い詰められた。「特に夏場はふるわず、1日に5~10人ほどの来客しかありませんでした」と話す。実は、製茶店は商店街以上に厳しい現実に直面していた。ペットボトルに押されて、急須で茶を飲む人が激減していたのだ。

 そんな小林さんに転機が訪れる。2006年、市内全域でかき氷を名物にすることになったのだ。「あついぞ!熊谷」の事業が始まった翌年で、市役所の主導だった。当時は暑さを利用した地域活性化策も発案されていた。

 熊谷のかき氷は特に有名だったわけではない。飲食店や菓子店などが協力して新商品を出し、暑い夏を楽しんでもらおうと考えたのである。

「製茶店のかき氷」を求めて1日200人が訪れる

 雪のようにふんわりと氷を削り、それぞれの店が独自のシロップをかけるのを共通のルールにして、「雪くま」というブランド名を付けた。

 素人だった小林さんも、製茶店でかき氷を出すようになり、抹茶、ほうじ茶、玄米茶をベースにして商品開発を進めた。苦労したのは、ほうじ茶だ。

「抹茶や玄米茶のように味がしっかりしていないので、当初はただの茶色い甘い氷にしかなりませんでした」と話す。癖のある茶葉ならどうか。ミルクなどに工夫を凝らせないか。試行錯誤はまだ続いているが、美味しさは市外にまで伝わり、平日は60~70人、忙しい日には200人も訪れる人気店になった。

 冬期には日にちを決めて、中身をかき氷にしたモンブランなどの“ケーキ”を出す。

「妻沼の高齢者の中には、かき氷を食べるのではなく、『飲む』と言う人がいます。昔は飲む感覚だったのです。これをヒントにして、最後はごくごくと飲め、後味がさっぱりするようなかき氷も作ろうと考えています。例えば、ほうじ茶にレモンをミックスしたらどうかなんて」

 かき氷の世界から茶を見ることで、いろんな発想が得られた。

 気付いたのは「茶には演出が足りない」ということだ。

「袋に『銘茶』と書いただけのような今のパッケージで売れるはずがありません。どんな種類の茶の木なのか。どこの産地なのか。『口に入れた瞬間に若葉の香りが広がる』などといった味の特徴も記載して、お客さんにそれぞれ好みのお茶を探してもらうような売り方ができないか考えています。テイクアウトできる茶のスタンドも設け、かっこいい淹れ方を目の前で見せる予定です」

「暑さ日本一になって恐ろしく人が来るようになりました」

 このような事業展開が考えられるようになったのは、暑さを逆手に取った地域起こしの成果だ。

「もうこれ以上暑くなる必要はありませんが、やっぱり1位でないとダメです。暑さ日本一になって、人が来ないどころか、恐ろしく人が来るようになりました。だからこそ様々なチャレンジができるのです」と小林さんは言い切る。

 知名度が上がり、誘客が進んだことで、商店街全体での効果も出始めた。

 妻沼の中心部には「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)」と呼ばれる仏教寺院がある。本殿は江戸時代、農民らの寄付で44年かかって建築された。

 色がくすみ、劣化が進んでいたが、2011年まで8年がかりの修理で、極彩色の外壁が復元された。12年には国宝に指定されている。

「当初は聖天山の参拝客を目当てにして商店街の活性化を図ろうとしていました。縁結びに御利益があることから、縁結びをテーマにした食事メニューを飲食店で出すなどしました」と、商工会の小川さんは語る。

暑さに挑戦し、チャンスを広げた妻沼の商店街

 だが、他力本願で成就するのを待つ前に、熊谷市の知名度が上がって人が集まり始めていた。そこで、小林さんが代表を務める若手経営者の集まり「めぬま商人会」と商工会が協力して、地道な空き店舗対策を進めた。店舗を細かく調査して、大家と借り手の調整を行ったところ、元理容店をしゃれた家具店にしたり、元薬局をカフェバーにしたりする若者が現われ、6店舗が進出した。

「今では空き店舗に入居した店に30~50代の女性が来るようになり、まちがおしゃれになったと言われています。新旧の相乗効果でお客さんが増えています」と、小川さんは微笑む。

 訪れた人々が、強い日差しの中でも安心してまち歩きができるよう、店舗や無料休憩所など22カ所が伝統工芸品「熊谷染」の日傘や番傘を置いた。

 小林さんは「めぬま商人会の仲間とは、着物パスポートも作ろうと企画しています。レンタルの着物で商店を巡ってもらい、特典をつけるのです。妻沼は戦災に遭わなかったので、雰囲気のある店舗が多く、着物にぴったりですよ」と意気込む。

 日本はもう、猛暑から逃れられなくなった。命や健康を守る対策が必須になっている。しかし、守るだけでいいのか。攻めも必要ではないか。暑さに挑戦し、チャンスを広げた妻沼の商店街は、これからの私達の生き方を暗示しているような気がする。

写真=葉上太郎

(葉上 太郎)

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