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あおり運転問題で日本人は欧米に学べることがある

ダイヤモンド・オンライン のロゴ ダイヤモンド・オンライン 2017/11/07 井元康一郎
あおり運転問題で日本人は欧米に学べることがある © diamond あおり運転問題で日本人は欧米に学べることがある

高速道路の追い越し車線で無理やりクルマを停めたことで起きた不幸な死亡事故により、危険なあおり運転や路上での暴力行為などのロードレイジ問題が社会問題となっている。路上での無用なトラブルを避けるためには、どうしたらよいのだろうか。(ジャーナリスト 井元康一郎)

にわかに注目されるようになった道路上のトラブルやあおり運転

 神奈川県の東名高速道路上で1台のクルマが他のクルマを無理やり停め、もみ合っているうちにトラックが衝突、停められたほうの乗員2名が死亡するという悲惨な事故を契機に、道路上でのトラブルやあおり運転がにわかに注目されるようになった。

 路上トラブルは、実は今に始まったことではない。ずっと昔から日常的に起こっていたことで、運転年数の長い人であれば、経験したり、目にしたことは一度や二度ではないであろう。交通をめぐる喧嘩を表す「Road Rage(ロードレイジ)」という言葉も昔から存在していたものだ。

 欧米では万が一の事故の際に、自分の正当性を主張するための証拠を確保するという目的で、運転中の動画を自動的に撮影するドライブレコーダーの普及がかなり前から進んでいた。そのドライブレコーダーはしばしば路上トラブルを捉えることもあり、その様子は動画投稿サイトでいくらでも見ることができる。

 その一方で、日本ではなぜか、諸外国に比べてドライブレコーダーの普及が遅れ気味であったが、今回の事件を知り装備するユーザーは確実に増えるものと考えられる。事故だけでなく、暴漢に襲われたときの証拠動画も簡単に撮ることができるからだ。

 先に開催された東京モーターショーでも、ドライブレコーダーのコーナーは見物客への対応でもちきり。出展したオーディオメーカーの担当者は「生産が間に合わず、お客様をお待たせしている状況。生産量が増えてコストダウンが進めば、そのうち安全装置に統合されるなど、当たり前の装備になっていくかもしれませんね」と語っていた。

 さて、世界中の道路にはびこるロードレイジだが、なぜ起こるのだろうか。

アメリカでクラクションが鳴らされない理由

 筆者はよくクルマでロングツーリングを行う。日本でも東京~鹿児島のような旅だと1回で3000km以上。ヨーロッパやアメリカの周遊ではすぐに4000〜5000kmくらいになる。

 その間、ロードレイジのような物騒なトラブルを目撃したり、自分が喧嘩の当事者になることはほとんどない。東京~鹿児島のドライブの場合でも、事故発生や現場検証は毎回必ずといっていいほど目撃するが、ロードレイジはまれにしか見ない。頻度自体は低いのである。

 基本的にロードレイジは、一方が相手を常に警戒していればそう起きやすいものではない。

 今夏、筆者は皆既日食を見ようとアメリカを5000kmほどドライブした。アメリカをクルマで自由旅行するのは久しぶりだったことから、日本との法規の違いもあり、正直なところ、慣れるまではあまり良いドライバーではなかった。

 アメリカ西海岸では、信号が赤でも右折(日本の左折に相当)は断り書きがないかぎり、安全を確認したうえでやっていいことになっている。だが頭ではわかっていても、進行OKの印が出ていないのに赤で発進するというのは心理的抵抗がある。慣れるまでは後ろを何度もイラつかせたことだったろう。

 ヨーロッパや日本だったら「何やってんだ!」とばかりにクラクションが飛ぶところだ。

 ところが、そんな運転をしてしまっていても、クラクションを一度たりとも、ピッと短く鳴らされることすらなかった。アメリカ人にその話をしたら、「鳴らすわけないだろう。向こうにどんな奴が乗っているかわからないんだからな」と笑って返された。

 なるほど納得である。

“アメリカ的な感性”を持つことが日本でも必要なのかもしれない

 日本でも「相手がどんな人間か、わかったものではない」と考えるようにしていれば、結果的に大きなトラブルに巻き込まれることはないだろう。

 むろん、ガラの悪そうなドライバーの傍若無人ぶりを注意せずに放っておくことはよくないし、許されることではない。

 とはいえ、よほど正義感の強い人か、好戦的な人でもなければ、路上で暴走族が通行を妨害していたり、電飾だらけでカーオーディオを大音量で鳴らしているようなクルマがノロノロ走っているのに対して、むざむざ喧嘩を売るような真似はすまい。

 今回の東名高速の事例も、相手をひと目見て「マトモではない」という感じだったら、もっとリスクを避けるような方法で対処するなどして、トラブルにはならなかっただろう。

 相手のクルマが一見普通のステーションワゴンで、クルマの外観だけでは「普通」か「普通でない」か、見分けがつかなかったのが不幸だったともいえる。

 「人を見て判断する」という方法について、良いか悪いかの議論はあるだろう。だが、乗り込む人をちゃんと見て、「話の通じる相手かどうかを見極める」といった“アメリカ的感性”をちょっぴり持つことも、無用なトラブルを避ける策として認識すべきなのかもしれない。

絡まれるリスク」を常に意識する長距離トラック運転手

 こういうトラブルに巻き込まれるのは、乗用車だけではない。以前、全日本トラック協会のコンテスト取材のときに、1年に何十万キロも走る長距離トラック運転手とたまたまロードレイジの話題になったことがあるが、長距離運転手でもプロ意識をちゃんと持っている人は、相手がトラックであろうと乗用車であろうと、「絡まれるリスク」を常に意識するものだという。

「相手が明らかに暴力的だと感じた時ですが、まともに相手をするというのも、相手にしないというのも良くない。走行中に突っかかられたときは、相手の気が済むように、あなたが偉いですよ、私は降参しましたというメッセージを運転で出す。肝心なのは、相手の頭に血が上る前にそれをやること。これで相手が去らなかったということは、私の場合一度もないです。部下にも、道路交通法や社内の規則を守っているんだから『自分は正しい』という意識を絶対に持つな、大型を転がしていると気が大きくなりがちだから気をつけろ、と口をすっぱくして言っています」

 繰り返しになるが、このように「明らかにどうかしている」というドライバー相手のロードレイジは、「世の中どんな奴がいるか、わかったものではない」という、自分の心の持ちようで相当回避できるものだろう。

 もっとも、ロードレイジはそれだけではなく、普通の人たちの間でも起こる。こっちのほうが体感的には厄介である。

 日米欧をドライブしていて、明らかに“善良な市民”と思われる者同士の競り合いが一番多いと感じるのはどこか。実は、一番血の気が少なそうな日本である。

 渋滞時に合流で小競り合いをするクルマ。高速道路でスピードの速い車線を進路妨害同然の速度で死守するクルマと、それに煽りを食らわせるクルマ。片側1車線道路をノロノロ運転し、後ろを散々にイラつかせるクルマ……。ロードレイジに発展するのはそのうちごく一部だが、現在問題視されている「あおり運転」のネタは道路にあふれ返っている。

過密状態になると人間は頭に血が上る

 これらの問題は、頭に血を上らせた側の交通道徳のなさに起因するものとして、切り捨てられる傾向が強い。

 だが、それは科学的な態度ではない。満員の通勤電車で「押した」「押さない」といったことでしょっちゅう揉めごとや喧嘩が起きているのを見れば一目瞭然なように、人間とはそもそも、過密状態になるとイライラして頭に血が上る生き物のようだ。

 日本の道路インフラも基本的に過密状態もいいところだ。都市への人口集中が進み、道路はガラすきの地方道と渋滞する都市部の道路に二分化。物流を過度にトラックに依存しているため、高速道路も幹線はほとんどトラックに占拠されているという状態だ。この過密ぶりでは、いくらおとなしい日本人でも頭に血が上っている状態が標準になってしまうというものだ。

 東名高速をはじめ、高速道路の中でも大幹線の役割を担っている路線でさえ完全3車線化にはほど遠く、一般国道に至っては1桁番号の幹線でも片側1車線の追い越し禁止区間が延々と続く場所が山のようにあるというインフラ整備の有様では、この過密状況の根本的解決は非常に難しい。しばしばクルマ離れが叫ばれているが、並の神経を持っていれば離れるのが当たり前だ。

 だが、そんな中でもできることはある。

トヨタの開発陣は欧州の交通慣習を学んだ

 その一つは、交通教育を根本から見直すことだろう。例えば、こんな話がある。

 欧州市場を主軸とするトヨタ自動車の世界戦略モデル「C-HR」の開発陣は、欧州の交通慣習をいま一度よく勉強したという。エンジニアの一人は言う。

「ドイツはセンターラインのない山道でも制限速度の100km/hで走り、相対速度200km/h近くで平然とすれ違うような国ですが、印象的だったことのひとつが、自動車学校では発進時に後続車の邪魔にならないよう速やかに車速を上げるよう習う、ということでした。交通全体の中で、自分がどう振る舞うべきかを習うんです」

 筆者は若い頃、イタリアの自動車学校に行った。そこで最初に強調されたのは、道路交通において重要なのは、他者の権利を尊重することだった。

「速く行きたいクルマを見たら速やかに進路を譲れ。交差する道路が優先道路だったら、その流れを止めない状況まで出るな。皆がそうすれば、自分の権利もおのずと守られる」と。

 これは「道路交通法に違反しさえしなければ、何でもあり」という日本の交通道徳とは、著しく異なる考え方だ。

他者の権利を保障することが自分の権利の保障につながる

 もちろん国によって文化はそれぞれなのだが、モビリティの先輩格であるアメリカやヨーロッパの国々は、おしなべて法令と同じくらい秩序を重んじている。

 あおり運転が話題になっているが、欧米でも不相応なスピードで追い越し車線を走っていたらパッシングを食らい、それでもどかなければ確実にあおられるだろう。

 運転中の相手にしてみれば、進路を邪魔されるのは喧嘩を売られているも同然だからだ。

 そういうときにどうすればいいのか。

 素直に道を譲ればいいのである。譲れる状況であるにもかかわらず譲らないで車線に張り付いていたら、進路妨害を取られて先行車のほうが検挙されることもよくある。

 日本の道路交通法は、「現代の交通の実情」にもはや合わない部分が山のように出てきている上、それを守れば交通が円滑になるというものでもない。

 ならず者によるロードレイジや走行妨害は論外としても、普通のドライバーによるあおり運転も多発しているとなると、それに対して「あおりはダメです」と言ったところで、効果はほとんどないだろう。

「他者の権利を保障することが自分の権利の保障につながる」という欧米流の良いところを、交通教育に取り入れていくべきではないかと、つとに思う次第である。

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