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「サリン」「VXガス」製造の知られざる舞台裏 オウム事件「教祖の寵愛」「上司との確執」

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2018/10/03 10:00 フジテレビ報道局 報道番組部
土谷正実元死刑囚を乗せた警察車両(写真:フジテレビ) © 東洋経済オンライン 土谷正実元死刑囚を乗せた警察車両(写真:フジテレビ)

 警視庁・築地警察署2階の取調室。1995年4月27日、当時警視庁捜査一課・殺人1係の係長だった大峯泰廣警部(当時)は日本の犯罪史を変えた男と向き合っていた。

 その男は寡黙で温厚、そして頭脳明晰。土谷正実元死刑囚。オウム真理教で「クシティガルバ」というホーリーネームで呼ばれ、教団で第二厚生省の大臣を務めたこの人物はサリンをはじめVXガス、ソマン、イペリット、ホスゲンなど毒ガス兵器を次々と製造した。

 松本サリン事件、地下鉄サリン事件……民間人を標的とした世界初の毒ガステロ事件はこの男がいなければ起きないものだった。軍でもない、国の研究機関でもない、カルト教団の信者であった一化学者がなぜこのような“化学兵器”を製造することができたのか? またどのような経緯で製造されていったのか?

 フジテレビ「直撃!シンソウ坂上SP 独占スクープ!サリン事件極秘資料 ―オウム“天才”信者VS伝説の刑事―」(10月4日(木)19時57分から放送)取材班は、極秘資料に残された土谷元死刑囚の供述を基に土谷元死刑囚がサリン製造を自供するまで、そしてその生々しい教団内の人間関係を追った。

極秘資料で語っていたオウムの変化

「1990年の総選挙が始まりです。私としてはなぜ教団に政治が必要なのかは疑問が残りました。政治で権力を握り救済をするものだと理解しましたが結局敗北しました。村井さんから『マハーヤーナでは救済できない。ヴァジラヤーナで行くべきだ。政治が利用できないなら力ずくでも救済計画を実行するしかない。

手段は選ばない。ヴァジラヤーナで力ずくでも日本をとって救おう。まずはLSDを服用すると人間の潜在能力、意識が高まる。その人自身が理解できるようになる。面白いんだが作れるかな?』と指示されLSDの合成に取り掛かり成功しました。LSDと力ずくの関係はわかりませんでした」

仏教用語で大乗仏教を意味するマハーヤーナではなく金剛乗、つまり密教を意味するヴァジラヤーナでいくと言われたという。オウムではこのヴァジラヤーナを独自解釈しグル(麻原彰晃教祖)に絶対的に帰依し、グルの命令であれば、殺人をも辞さないという教義としてとらえられていた。戸惑いながらも教団幹部であった村井秀夫氏から言われた“力ずくで日本を救うため”まず麻薬であるLSD製造を始める。すると「新たな指示」があった。

「1993年4月ごろ、村井さんから土谷、W、広瀬(健一元死刑囚)、Tの4人でソ連に行ってくれ、と言われ大学施設や爆薬を作るのに必要な硫酸工場などで講義を受けましたが情報入手の成果はいまいちでした。帰国すると村井さんから『聖者は一般の人と比較して必要とする酸素の量が少ない。その差を利用して聖者だけを選別する。つまり、生き残らせる兵器、というよりそんな化学物質はあるか?』と尋ねられました」

土谷「サリン、VX、ソマン、タブンあたりですかね」

村井「サリンのほうが、原料も安いし入手しやすいね」

土谷「ではサリンに取り掛かります。試薬、準備します」

村井「近い将来、日本国内は戦争状態になる可能性が大であると考えている。自己防衛という観点から軍事力を持たなくてはいけない。アメリカ、ソ連はVXとサリンを大量に保管している。この化学兵器があるのなら強力な兵器としての価値を有することになる。抑止力としての軍事力ともなる」

聖者を選別するため……村井氏により“こじつけ”とも思われる理由がここで明らかになるが、教団のダミー会社などを通じて必要な薬品を手に入れた土谷元死刑囚はついにサリン製造に成功する。命令されてあっさり成功してしまう天才的な能力が感じられるが土谷死刑囚には罪悪感というものはなかった。また、松本サリン事件後には村井氏から新たな指示を受けていたという。

村井「松本でサリンとバレてしまった。証拠が残らないものはないか?」

土谷「ホスゲンか青酸がいいんじゃないでしょうか?」

村井「作ってくれ。それから、爆薬も作ってくれ」

土谷「なぜですか?」

村井「日本中が内乱になったら暴力団などの組織が出てくる。それに対抗するためには武装が必要だ。銃は1000丁作らなければならない。それは広瀬、横山(真人元死刑囚)にやらせる、君は銃弾、火薬を製造してほしい」

土谷元死刑囚はいぶかりながらも銃弾の製造に取り掛かり実際に火薬を200グラム合成し、TNT爆弾のプラント製造にまで取り掛かっていた。さらに最強の毒ガスともいわれるVXガスを5回合成、まず12月に駐車場経営者襲撃事件に使用されたが失敗した。土谷元死刑囚はその時の様子を振り返る。

村井「効かなかったがどうしてだと思う?」

土谷「急場しのぎで塩酸塩だったもので……」

村井「VXそのものを作ってくれ」

そして土谷元死刑囚はVXを新たに200グラム合成し、200グラム合成し、中川智正元死刑囚に渡した。するとその後、VXは1994年12月12日、会社員VX殺害事件で使われた。教団から公安のスパイと決めつけられた男性が殺害されたのだ。世界初のVXガスによる殺人事件だった。村井氏はさらにこんなことまで要求してきたという。

村井「VXをもっと有効に使える方法はないかな……VXは相手に接近しないといけない。人の体内に入ったら、触れたらとけるようなものを作ってほしい。弾丸のようなものだ。私がハード面をやるから君はソフト面をやってくれ」

土谷「VXの弾丸ですね。人体に向けて発射させる」

土谷元死刑囚はこの頃はもはや化学兵器製造マシーンと化していた。毒ガス兵器を作り続けることに「何の躊躇もありませんでした」と話している。「教団は米軍、フリーメーソン、公安から狙われていた。攻撃も受けていた。危機感を持っていました。武装化を急がねばと思っていました」と淡々と語っている。

教祖の寵愛をめぐり…上司・遠藤誠一元死刑囚との確執

 土谷元死刑囚は出家後、位は高くなかったが麻原教祖と直接会うことができたし、お好み焼きをごちそうしてもらうなど特別な待遇を受けていた。土谷元死刑囚は麻原教祖にいかに寵愛されていたかを話す。

「初めて尊師と口をきいたときの話をします。1992年7月6日、第二サティアン3階で私は極限修行中でした。その際、尊師に呼ばれました。その時私は修行が極限状態にあり、その時の状態を尊師が『君はこのままの状態じゃ結果は出ないよ。だからワーク(化学活動)に戻りなさい』と初めて言われました。さらに尊師は『何かあったら私のところに直接来ればいい』とも言われました。それ以降私はだれの許可も取らずに尊師と直で会いました。

尊師のおられる第6サティアン1Fか第2サティアン3Fへ会いに行っています。修行で行き詰まったりとかすると尊師によく会いに行きました。尊師に会うことは許可がなくては一般のサマナは自由にできません。正悟師以上のステージの人は尊師に会うことはできます。自分はサマナというステージで尊師に直接自由に会うことができるということは尊師から過去世からの縁が濃いといわれていたからです」

 そのころ、麻原教祖は「生物兵器」に関心があり腹心の遠藤元死刑囚にその製造を指示していた。しかしことごとく失敗。教団は化学兵器にシフトし村井氏が「土谷がいいだろう」と提案、土谷元死刑囚が化学兵器の製造に取り掛かり次々と成功させる。

 遠藤元死刑囚は獣医学とウィルスが専門、土谷元死刑囚は化学と、専門も違う。遠藤元死刑囚は化学の知識がなく、成果を出せない遠藤元死刑囚はことあるごとに土谷元死刑囚に干渉してきたという。土谷元死刑囚は語る。

「遠藤はことごとく失敗していました。尊師から依頼されたボツリヌス菌も炭疽菌も全部失敗です。一方で私は次々と成功させていました。遠藤は部下を罵倒したり八つ当たりしたりしていました。私は中川さんと一緒にワーク(化学活動)をしていましたが、しかし遠藤は私の上司です。遠藤は厚生大臣で私は次官でした。干渉してくるのでようやく第一厚生省と第二厚生省に分けてもらったのに1994年7月、遠藤がこういったんです。

『僕は中川を信用していない。彼は僕と君が失敗するように念じている。彼を信用しないほうがいいぞ。いいか? これからは君のワーク(サリン、LSD、PCP製造)に僕は介入するからな』

もともと私は尊師に直接会うことができましたし相談もできたのに、1994年の8月ごろ『君は勝手に尊師に会っているようだけれどもこれからは全部僕を通せ』と言ってきました。私は腹立たしかったですが指示どおりにしました。遠藤の研究室にも自由には入れないように私から鍵を取り上げ、そのくせ自分は平気で私の棟に入ってきます。

私の部下にも私を通り越して勝手に指示をしたり、私を下請けのように使おうとしたりしました。それに自分ではできないから私に何度も相談してやっと仕上げた試薬なども自分の手柄にすることがよくありました」

嫉妬、蹴落とし合い…オウムとは何か

 取り調べを行った元警視庁捜査一課理事官の大峯氏によると土谷元死刑囚は遠藤元死刑囚の話となると、次から次へとしゃべるようになったという。土谷元死刑囚は遠藤元死刑囚を有能な自分を使って手柄を奪う嫌な上司とみていた。さらに麻原教祖の寵愛を受ける自分を遠藤元死刑囚が嫉妬しているともみていたようだし、ことごとく失敗している遠藤元死刑囚が麻原教祖から大切にされていることも気に入らなかったようだ。

 この構図は私たちの社会でもよく見られるものかもしれない。教祖の寵愛を求めて張り合う2人の信者。しかしそうした寵愛を求める思いから毒ガス兵器は生まれたのだった。

 そして教団は1995年3月20日、未曾有のテロ事件、地下鉄サリン事件を起こす。その舞台裏では土谷元死刑囚と遠藤元死刑囚の確執が起きていた。オウム真理教とは何だったのか。そこには私たちの住む世界と変わらない、嫉妬やねたみ、感情にまみれた小さな社会があったのではないだろうか。

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