「ミスが多い」53歳で退職した発達障害男性の末路 てっきり定年まで働き続けるものと思っていた
「取引先からクレームも来てんねん」
「ミスも多いし、取引先からクレームも来てんねん」
関西地方の会社で働いていたマナブさん(仮名、55歳)は上司から突然呼び出され、こう告げられた。ちょうど2年前のことだ。
同僚に比べて作業が遅く、ミスが多い自覚はあった。上司は改善すべき点をリポートにまとめてこいという。マナブさんはその日の晩、パソコンに向かったが、いっこうに筆が進まなかった。それまでも自分なりに一所懸命やってきたつもりだったので、何を改善すればいいのかわからなかったのだ。
以前から、自分は発達障害なのではないかとの懸念があった。障害がわかれば改善点も見えてくるのではないかと考え、上司に心療内科を受診したいと申し出たものの、「そんなとこ行ってもしゃーない。(発達障害による特性など)誰にでもあることやし」と受け流された。とにかくリポートを出せの一点張りでしたと、マナブさんは振り返る。
結局、マナブさんは自ら退職届を書いた。大学卒業と同時に就職した会社で、てっきり定年まで働き続けるものと思っていた。しかし、30年間の会社員生活の終わりは実にあっけなかった。
マナブさんの作業の遅れやミスとはどのようなものだったのか。当時の勤務先は野菜などの品種開発や、種や苗の生産販売を手掛ける種苗会社だった。マナブさんは同僚に比べて苗などの育成や接木作業の効率が悪かったという。
「この業界では『水やり3年』とも言われるのですが、私はそのコツがなかなかつかめなくて……。苗が均等に育たず、農家に渡せる本数が予定よりも少なくなってしまうことが、年に1回はありました。同僚が1時間で100本、接木できるところ、自分は70本しかできなかったり、害虫の発見が遅れて品質検査中の野菜をダメにしてしまったりしたこともあります」
ミスをしないよう慎重になると、作業が遅れ、焦ってミスをする――。そんな悪循環に陥ったという。
辞めさせられるほどのミスだったのか
たしかにマナブさんは会社にとって「優秀な社員」ではなかったのかもしれない。しかし、指示に従わなかったり、無断欠勤を繰り返したりしたわけではない。頻度にもよるが、はたして辞めさせられるほどのミスだったのか。上司からは同じころに「発注システムが変わったから早く慣れて」とも言われていたといい、リポート提出の命令はマナブさんにとっては寝耳に水の出来事でもあった。
一方で会社側の対応は退職強要やパワハラとまではいえないようにもみえる。持論にはなるが、このご時世、マナブさんのような年齢で正社員の仕事をやすやすと手放すべきではなかったのではないか。不当な解雇や雇い止めを防ぐための法整備もなされている。これに対し、マナブさんはこう主張する。
「(上司の態度は)反論を許さないという感じでした。たとえ発達障害だとわかったとしても、それが受け入れられる雰囲気ではありませんでした。何より私自身がもうここに自分の居場所はないと思ってしまったんです」
いずれにしても会社を辞めたことで、430万円ほどあった年収はゼロになった。
退職後は発達障害かどうかを調べるのに一苦労した。心療内科に片っ端から問い合わせたところ、いずれも検査の予約はいっぱいと言われてしまったのだ。「中には1年先まで埋まっていると言われたところもありました」。やむを得ず、隣接する自治体の病院まで足を延ばし、ようやく検査を受けることができたという。
大人の知能検査である「WAIS-Ⅳ」を受けた結果、最も得点が高かったのは語彙の豊富さや言葉で説明する力を図る「言語理解」で、最も低かったのは作業を素早く正確にこなす力を図る「処理速度」、その差は30だった。医師からは「発達障害の疑いあり」と告げられた。
「やっぱりな……」とマナブさんは思ったという。「(発達障害だと)知らなければ、まだがんばればできるんじゃないかという希望が持てたけど、診断されたことで限界を突きつけられたような気持になりました」。
関西の地方都市で、共働きの両親のもとで育ったマナブさん。小中学校時代はいじめを受け続けた。「汚い」「近づくな」といった言葉の暴力に加え、ことあるごとに仲間外れにされたという。
「サッカーの授業で、私は球技が不得意だったのでキーパーに回されたのですが、わざと接触プレーに持ち込まれてよってたかって蹴りを入れられました。中学3年生のときには学級委員長に選ばれたのですが、高校受験を控えてだれもやりたくなかったんです。女子で選ばれたのは軽度の知的障害のある子でした。“逆人気投票”ですよ。さすがに先生も選びなおすよう提案したのですが、クラスメートたちから『それは逆差別だ』と反論され、結局押し付けられました」
なんとも胸の悪くなる、陰湿ないじめである。こうした経験もあり、人付き合いは苦手。生物が得意だったので、大学は農学部に進んだものの、就職活動には苦労した。世の中がバブル景気に沸く中、就職が決まったのは大学4年の秋。研究室の中で最も遅かった。しかも希望していた研究職ではなく、営業職での採用だったという。
収入は会社員時代の3分の1以下に
会社を辞めた後の再就職活動は案の定一筋縄ではいかなかった。ハローワークに通っても正社員の仕事は皆無。パート採用された会社からは試用期間の終了とともに解雇された。昨年から障害者枠で運送会社の庫内作業に就いたものの、時給は最低賃金水準。収入は会社員時代の3分の1以下になった。
現在の職場で、運転と同時に営業もこなすドライバーや、臨機応変にクレーム対応にあたる事務職の社員を見ていると、自分にはできないことばかりだと無力感にさいなまれるという。
「収入の少ない仕事をバカにする気持ちはないんです。ただ収入が少ないこと以上に、そういう仕事にしか就けない自分に生きづらさを感じます。(発達障害当事者に対しては)『特性を生かして得意な仕事をすればいい』と言う人もいますが、(その特性が)仕事として世間が求めるレベルになければ意味がないと思うんですよね」
話は少しずれるが、私の取材経験上、発達障害の中でも言語理解が高く、処理速度の遅い人には一定の共通点がある。メールでのやりとりはスムーズなのだが、対面やオンラインなどのコミュニケーションになるとほんの少しだけやり取りに時間がかかるのだ。
マナブさんもメールの文章は文法も適切、語彙も豊富で、いうならば完璧。一方で取材の質問に対する答えでは言いよどんだり、考えこんだりすることがあった。ただこちらが急かすことなく、ほんの数秒待ちさえすれば、例外なく適切な答えが返ってきた。
それだけにあらためて思うのは、なぜ社会はこうした人たちを「効率が悪い」「浮いている」といったささいな理由で排除するのか、ということだ。会社員時代のマナブさんについていうなら、罪を犯したわけでもなければ、会社に甚大な損害を与えたわけでもない。
発達障害の特性を理由にポイ捨てする企業
本連載には発達障害の特性のせいで会社をクビになって貧困状態に陥った、あるいは定職に就けず、貧困から抜け出せないので調べてみたら発達障害だったといった人からの取材依頼がとても多い。こうした人たちが相次いで病院に行けば、それは1年先の予約も埋まるだろう。中には初診後すぐに発達障害と診断する不適切な病院もあると聞く。
発達障害の特性を理由にポイ捨てする企業に、追い立てられるようにして診断を下す医療機関――。こうした負の連鎖はもはや異常事態なのではないか。
利用価値の高い人間だけを残したいという企業側の考えを理解できないわけではない。ただ乾いたぞうきんを絞るがごとく人件費削減や効率化を図り、少数精鋭の正社員に負荷を集中させ、非正規雇用労働者を増やすことで、この間日本の経済は発展しただろうか。
一方の発達障害当事者にしてみれば、転職のための教育研修といった機会も不十分な中で、いったんクビになれば不安定で低賃金の非正規雇用に落ちていくしかない。その過程で自己肯定感もズタズタに損なわれる。彼らの一部は障害年金や生活保護を利用することにもなる。
負の連鎖はそろそろ断ち切るべきだろう。それは「健全な分厚い中間層」を復活させる唯一の方法なのではないか。
もしマナブさんが会社で働き続けていれば、定年は65歳だった。翻って今は将来が見えない中、蓄えを切り崩す生活。「これから、いつまで働き続けなければならないのか。それが不安です」。
2年前に辞めた会社について、マナブさんは「感謝もないけど、恨みもありません」と、最後まであからさまな批判を避けた。一方で「できるならどうすればミスが減らせるのか、一緒に考えてほしかった」と語る。30年間貢献した社員のささやかな望みがかなえられることはなかった。