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幻の現金輸送専用鉄道車両「マニ30」 新札登場で封印は解けるか

NEWSポストセブン のロゴ NEWSポストセブン 2021/09/15 07:05
マニ車外観。強盗などの襲撃に備え窓は防弾ガラスになっていたとも言われる。 © NEWSポストセブン 提供 マニ車外観。強盗などの襲撃に備え窓は防弾ガラスになっていたとも言われる。

 現金輸送車といえば、厳重に警備された特殊な自動車を思い浮かべる人が多いだろう。日本銀行は、福沢諭吉の一万円札と樋口一葉の五千円札、野口英世の千円札が発行される前年度まで、鉄道も使って大量の現金を輸送していた。輸送を担っていた車両「マニ30」は半世紀ほどの運用のなか、徐々に話題にすることがタブー視されていった。ライターの小川裕夫氏が、話題にすることも避けられてきた幻の「マニ30」の現在についてレポートする。

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 渋沢栄一が顔となる新一万円札の印刷が9月1日から始まった。現在、一万円札の肖像は福沢諭吉だが、2024年に新一万円札へと切り替わる。昨今、キャッシュレス化が進み、現金を使用する機会は減っている。とはいえ、いまだ現金を使う機会は多い。ゆえに、新一万円札には、これまで以上に偽造を防止するための最新技術が用いられている。

 日本銀行は、新一万円札に用いられる偽造防止技術をツイッターなどでも積極的に紹介している。防止技術を情報公開したら、逆に偽札製造を試みようと悪だくみをする人たちの幇助につながりそうだが、日本銀行には偽造されることがないという絶対の自信があるのだろう。それほど高度な技術が日本銀行券には使われている。

 その一方、日本銀行は輸送体制に関しては頑なに口を開こうとしない。例えば、日本銀行券の印刷を所管する国立印刷局は、東京・王子・小田原・静岡・彦根・岡山の6工場を有する。このうち、王子工場は郵便切手や有価証券類を担当。また、岡山工場は有価証券類や紙幣の用紙製造を担当し、印刷は手がけていない。

 つまり、東京・小田原・静岡・彦根の4工場で日本銀行券は印刷されていることになる。日銀は、北は北海道旭川市から南は沖縄県那覇市まで支店を置く。業務上、これらの支店に大量の日本銀行券を輸送しなければならないわけだが、その輸送体制は長らく謎のベールに包まれていた。

「大変恐縮ですが、現金輸送にかかる詳細は過去の情報を含めセキュリティに関することを含みますので、お答えを差し控えさせていただきます」と言葉を濁すのは日本銀行広報部の担当者だ。

 セキュリティの観点から、現状の輸送体制について公言できないのは仕方がない。しかし、すでに歴史となっている部分についても質問しても「セキュリティに関わることなので回答できない」(同)と繰り返す。

 日銀は全国各地の支店へ日本銀行券を輸送するにあたり、2003年度まで鉄道貨物輸送をフル活用していた。その現金輸送列車は、1949年から導入されていた。それまでの輸送体制も多くは秘密にされているが、日銀職員数人がアタッシュケースに現金を詰めて運んでいたとの資料が残されている。

 しかし、一般乗客と現金輸送を担当する日銀職員が同じ車両に混乗することは危なっかしい。そのため、専用の現金輸送車両が製造された。専用の現金輸送車はマニ34形という型番だったが、後に改番されてマニ30形となった。そのため、日銀関係者や国鉄関係者からは一般的にマニ30、もしくはマニ車と呼ばれる。

 マニ30の「マ」は42.5トン~47.5トン未満という重量区分を示すマで、「ニ」は荷物車を示すニに由来する。英語のマネーから転訛したわけではない。しかし、その語感が似ていることから、マニ30はマネーを意味するという話が一人歩きしていった。

 かつての鉄道雑誌でも、マニ30は特にタブー視されていない。そのため、至って普通に掲載されていた。それらの資料を見ると、マニ30の窓は防弾ガラス仕様であるとか、警察官や鉄道公安職員(現・鉄道警察隊)が同乗して警戒にあたっていたという。

 しかし、運んでいるモノがモノだけに、日銀や国鉄内部から次第にタブー視されるようになる。また、1968年に東京都府中市で起きた三億円事件も少なからず影響しているかもしれない。いずれにしても、国鉄は鉄道雑誌の各編集部に掲載しないように暗に圧力をかけるようになったといわれる。

 こうしてマニ30は、メディアから封印された。そうした背景も憶測が憶測を呼ぶ遠因になった。

 時代の流れもあり現金輸送は鉄道から自動車へと移り、2004年に役目を終了。最後まで残っていたマニ30は6両あったが、そのうち1両は北海道小樽市総合博物館に引き取られた。その経緯については、

「日本銀行では、銀行券の輸送に使用してきた貨車(マニ車)の展示を通じ、日本銀行の業務や役割に対する理解を深めていただく観点から、2004年に小樽市交通記念館(現・小樽市総合博物館)に寄贈、展示することとしました」(同)

 小樽市には日銀の支店があり、そうした縁からマニ30は小樽へ引き取られることになった。しかし、残りの5両は廃車されたと言われている。マニ30は貴重な車両のため、小樽市交通記念館が展示を開始した同年7、8月の来場者は、前年7、8月と比べて2000人以上も増加した。それだけ貴重で人気のあるマニ30なだけに、ほかの博物館から引き取りたいという声が出なかったとは考えづらい。

「なぜ残り5両を廃車にしたのかといった理由は、わかりません。昔のことなので、当時の事情を詳しく知る職員もいません。譲渡の経緯が記された資料も残っていないのです」(同)

 マニ30は長らく頑なに秘密にされてきた。しかし、2020年に本店の見学コースをリニューアルした際に、模型ながらも一般公開された。

 さらに日銀は「ご自宅から日本銀行本店の新見学コースをお楽しみいただけるよう、3DやVRの映像を活用したオンライン本店見学”おうちで、にちぎん”を2020年6月よりホームページにて公開しています」(同)といった具合に、オンラインでもマニ30を見られるようにしている。

 マニ30の存在は日銀史や鉄道史、そして日本の経済史において無視することはできない。しかし、タブーだったがゆえに、研究や解明は進められてこなかった。タブー視されていたマニ30の封印は、歳月とともに解けつつある。渋沢の一万円札が登場する2024年、マニ30の封印はどのぐらい解けているだろうか?

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