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戦国時代に武将が食べていた「まずい飯」の正体 歴史小説家が資料をもとに当時の食事を再現

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2020/12/31 19:00 黒澤 はゆま
戦国武将が口にしていた食事はどのような味がするのか(写真:Josiah / PIXTA) © 東洋経済オンライン 戦国武将が口にしていた食事はどのような味がするのか(写真:Josiah / PIXTA)

現代ほど食文化が発展していなかった戦国時代の武将は、どのようなものを食べていたのか。歴史資料をひも解き、いまある食材で再現を試みた『戦国、まずい飯! 』から一部抜粋・再構成してお届けする。

戦国時代を生きた人々が食べていた米は?

 「あれ食べてみたい」。ブラウン管を指さし、そう母親に言ったのは何年前のことだろう。テレビに映っていたのはNHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』。渡辺謙扮する伊達政宗が、湯漬けを豪快にかき込んでいた。

 母親は苦笑しながら、炊飯ジャーからお椀にごはんをよそい、お湯をぶっかけた。水っぽい。味がしない。正直、食えたもんじゃない。

 それでも、その食べがたさの分、政宗のような戦国時代を生きた人々の持つ「強さ」へ近づけた気がして、とてもうれしかったことを覚えている。

 ただ、本当に私は彼らと同じものを食べたのだろうか? そもそも、米が白いお米だったかどうかも怪しい。「殆ど下咽に耐えず、蓋し稲米の最悪の者なり」とまで酷評された赤米だったかもしれない。

 私が小学生の時に感じた「食べがたさ」なんて目じゃないほど、「食べがたい」ものをどうにかこうにか飲み下して、戦国時代の人々は生き延びてきたのだ。『独眼竜政宗』から30年あまり。今さらながら、子どもの時の「あれ食べてみたい」をやってみたくなった。そして、その最初の候補に、私は赤米を選んだ。

 戦国時代、庶民はそうそう真っ白な米を食べられるものではなかった。秀吉の朝鮮侵略戦争中に、講和交渉のため日本に派遣された朝鮮通信使の黄慎の日記にこんな一文が残っている。

 「但将官の外は皆赤米を用ゐて飯と為す 形は瞿麦(くばく)の如く 色は蜀黍(しょくじゅつ)に似 殆(ほとん)ど下咽に耐えず 蓋(けだ)し稲米の最悪の者なり」(「日本往還日記」)

 瞿麦は燕麦(えんばく)、蜀黍は高粱(コーリャン)の一種と考えられている。燕麦は細長い種子を作り、高粱は熟すと真っ赤に実る。そのような形状の赤米を将官以外の雑兵は皆食べていて、飲み込めないほどまずく、稲米のなかで最悪のものだというのである。

 侵略を受けた黄慎は当然、日本に対して相当に憤っており、その記述については割り引いて考えなくてはいけないが、赤米がそうおいしいものではなかったということは、他の日本国内の記録とも一致するので、まず真実と考えてよいだろう。しかし、「飲み込めないほどまずい」というのは食物に対する最大級の罵倒で興味深い。

赤米≒大唐米?

 ぜひ食べてみたいと、調査するうちに、赤米はインディカ系と目される大唐米と呼ばれることが多かったということがわかってきた。

 そして、富山県農林水産総合技術センターの育種課長、小島洋一郎氏の助言もいただき、現在、唐法師、唐干と呼ばれる品種が、この大唐米に近い可能性があるということを突き止めた。

 あとは、栽培している人がいないか探すだけだが、四方八方、調べた結果、長崎県で自給自足の生活を目指しているケップルス氏(ブログ上のハンドルネーム)のブログ、『おうちで穀物自給』に行き着く。

 2017年の記事だったが、ジーンバンクから種子を取り寄せ、田植えしたと書かれてあった。現在も栽培しているかもしれないと思い、「唐法師、唐干が手元にあれば分けていただけないだろうか」と頼んでみる。

 すると、「唐干と唐法師は株が倒伏して収穫をあきらめたが、代りにメラゴメという近い品種が2系統取れた。片方の玄米が0.9合、もう片方の5分づき米が1.9合ほどあるので、これらならお譲りできる」というお返事をいただいた。

 メラゴメも専門家が、赤米の末裔候補としてあげている品種である。「ぜひ、分けてください」。そうお願いしたところ、ケップルス氏は快く引き受けてくれた。

 写真は、紅染め餅という最近開発された赤米の品種(右)と、メラゴメ(左)を並べたものである。ご覧の通り、メラゴメの方が細長い。

 これはインディカ系の品種の特徴で、先の黄慎の日記の記述と一致する。ケップルス氏によると、唐干、唐法師、メラゴメは水田でなく、畑でも育てることができるという。

 ただ、全般的に化学肥料に弱く、尿素を加えたことが、唐干と唐法師の倒伏に関係しているかもしれないとのことだった。

 大唐米は、痩せた土地でも育つ品種だったようだが、現代の化学肥料にはかえって弱いのかもしれない。

 また、唐干、唐法師、メラゴメとも、今の日本の稲より株や葉がすらりとして、発芽、成長、収穫ともに早いが、風には弱く、脱粒もしやすい。穂が出る頃から株が倒れやすくなるので、互いに支え合うように苗を密に、株間5センチメートル以下で植えるのが栽培のコツということだった。

 その特徴は、大唐米についてのさまざまな記録と一致していた。江戸時代、元禄10年(1697)に出版された『本朝食鑑』の記事も紹介する。

米の一種に大唐米というのがある。これはもともと中国の種を移しうえたもので、俗に唐乾という。その稲は、繁茂して早く熟すので、各地で種えているものの、雨にあえば腐り易く、風にあえば墜ち易く、小粒で赤色、味も佳くない。けれども飯に煮ると二倍にふえるので、民間で食するのにはよい。但、米の性が薄く腹がへり易いのは残念である

「繁茂して早く熟す」とか、「風にあえば墜ち易く」などは、ケップルス氏の証言を裏付ける。私は確信した。これだ。これこそが、戦国時代、雑兵たちが食べた赤米、大唐米なのだ。

まずは5分づきから挑戦

 最初に試したのは、5分づき(玄米を完全に精白せず、半分ほどついた状態)米の方だった。水で洗うと、籾殻がたくさん浮くので、丁寧に取り除く。

 ケップルス氏によれば、水を多めにした方がよいということなので、普通米と比べて、1.2倍ほどの分量の水で炊いてみた。炊飯中、におうかなと思ったが、別にそんなことはなく、むしろお菓子のような甘い香りがした。

 写真が炊きあがりで、確かに炊き増えするようだが、『本朝食鑑』の2倍はオーバーな表現のようだった。気になるのが、ジャーを開けた際、湯気がまったくあがらないことだ。

 シャモジですくうとシュワシュワと音がして、パラパラこぼれる。これでは、おにぎりにするのも、無理なようだった。形が崩れ気味でくるりと丸まったようなものもあり、光沢もあまりない。

 ぱっと見、おいしくなさそうに思えるが、気を取り直して実食してみる。……味は別に、飲み下せないほどではない。ただ、淡白で、食感がもそもそしている。口のなかの水分をどんどん吸い取られる感じ。おいしくないというより、つまらないと言うほうが正しい気がする。

 茶碗に半分くらい食べたところで飽きてしまい、少し時間を置くことにした。戦国時代は、朝に一度炊いたものを、昼、夜と分けて食べることの方が一般的だったのである。半日ほどたった後、もう一度食する。

 今度は、水分がないのがまずく感じる原因かもしれないと考え、湯漬けにしてみた。しかし、これが失敗だった。まったく水を吸わないうえ、味が薄いのがさらに強調される。本当に飲み下せたもんじゃない。

 おかずに用意した梅干しやぬか漬けともあわない。酸っぱくてしょっぱい梅干しやぬか漬けは、コシヒカリ等のジャポニカ系なら甘さを引き立て食欲をそそる。しかし、淡白なインディカ米だと、邪魔なだけである。

 箸をすすめるのに難渋しつつ、ようようのことで茶碗を空けた。ただ面白いのは、こんなに苦労したのに、おなかが膨れた感じは一切しないことである。『本朝食鑑』に「米の性が薄く腹がへり易いのは残念である」と書かれているとおりだ。消化のよい品種なのである。江戸時代は、この特徴のため、病人に出されることも多かったらしい。

はだしのゲン式の精米にチャレンジ

 精米したものも試したいので、もう1つの系統は、行きつけのお米屋さんに持っていくことにした。ところが、赤米を見せたところ、色が交ざってしまうからということで断られてしまった。

 私は、赤米、大唐米の歴史が迫害の歴史でもあることを思い出した。年貢を赤米で納める割合を一定以内に抑えるよう命じる大名がいたし、農民も苗代で白米に赤米が混ざることを嫌がりまったく別の場所で育てたという。

 お米屋さんに無理強いをすることもできないので、人力精米をやってみることにした。『はだしのゲン』に載っていた、一升瓶に玄米を入れ、菜箸でつくというやり方だ。今は令和なので少し進歩して、使うのは一升瓶ではなくペットボトルである。

 しかし、これがまた大変だった。とにかく単調でつまらない作業なのである。どれくらい時間がかかるものなんだろうかと調べたら、最低でも5時間はつく必要があるようで、なかには1日3時間、1週間もつき続けた人もいた。

 気が遠くなりそうになったが、それでも心を無にして1時間ほどついたところで、右肩に激痛が走った。「もうだめだ」。思わず家庭用精米機をネットショップに注文しそうになったが、男が一度やり出したことである。右肩に氷嚢を当てタオルでしばる。そこからは、甲子園で連投に連投を重ねた後のエースみたいな姿での作業になった。

 ちなみに昔の人は皆、玄米を食べていたというのは誤りで、5分づきか7分づき程度であったとしても、大抵杵をあててから炊いた。玄米は炊くのに火力がいるし、消化効率も悪い。強力な火力を備えた炊飯器と、米以外からでも容易にエネルギーを取ることのできる現代人だからこそ、玄米ご飯を食べられるのであって、過酷な戦国時代を生きる人々にそんな余裕はなかった。

 結局、計12時間ほどついたところで手を止めた。別に精米が完ぺきにできたわけではない。肩と肘の限界が来たのだ。しかし、洗ってみると、案外、皮が取れていた。7分づきくらいはいっているだろうか。胚乳は白というより灰色に近い。

 イエズス会の宣教師、ジョアン・ロドリゲス・ツウズが書き記した『日本教会史』によると、当時の赤米もついても白くならず、色は灰色だったそうである。

 5分づきのものを炊いた時よりも、長めに吸水時間を取り水も増やしてみた。炊きあがりは5分づきのものよりは若干色が白いようでもある。シャモジですくった感じもふっくらしている。

 一口食べてみて驚く。水分をしっかり含んで、ちゃんと甘いのである。もちろんコシヒカリと比べたら大分劣るが、十分食べられる。おかずに大根のぬか漬けも並べてみた。相性ばっちりというわけにはいかなかったが、5分づきの時と比べたら、まぁまずまずである。

開発の尖兵だった大唐米

 考えてみれば、大唐米も働き者の米である。なぜなら、大唐米は日本の歴史のなかで、長らく開発の尖兵として扱われてきたからだ。新規耕地開拓の際、水田でしか育たない晩稲の白米に先立って、畑にまかれるのである。そして、水田ができるまで、開拓民の腹を満たし、その命を養う役割を担った。

 戦国末期から江戸初期は、戦を終えた大名たちが、日本全土で新田開発に励んだ時代でもあった。赤米は、新たな国土の創造のために働きに働き、役目が終わると、雑草同然の扱いを受けながら、静かに歴史から消え去った。

 その姿は何かに似ていないだろうか? そう、戦国時代の雑兵たちである。見た目が武骨で、生命力は強靭、艱難辛苦に耐えて、新たな時代のために命を的にして闘い、平和への埋め草となって消えていった人々。

 彼らの姿に、赤米の姿が重なる。黄慎の「殆ど下咽に耐えず」という言葉は、彼らがそれでも飲み下さなくてはならなかった運命のことを指しているのかもしれない。いつの間にか、赤米も食べ終えていた。「ごちそうさま、そしてご苦労様でした」そう心からつぶやきながら、赤米とそれを食べた雑兵たちに、手を合わせた。

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