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新天皇と雅子さまに「どのような感じをもっていますか」――日本人が皇室に抱く“好感”と“無感情”のサイクルとは

文春オンライン のロゴ 文春オンライン 2019/06/09 11:00 河西 秀哉

 5月1日、皇太子徳仁親王が天皇に即位、元号が令和となった。5月4日に実施された即位一般参賀では、14万人ほどの人々が皇居を訪れ、1990年11月に実施された平成の即位を祝う参賀の約11万人を超えたという(「朝日新聞」2019年5月5日)。

天皇皇后両陛下 ©文藝春秋 © 文春オンライン 天皇皇后両陛下 ©文藝春秋

 5月27日には、令和初めての国賓として来日したアメリカのトランプ大統領を招いた宮中晩餐会が開催された。そこでトランプ大統領夫妻に接する新天皇夫妻の姿勢が話題となった。多くの場面で通訳を介さず英語で話す二人(特に雅子皇后)の姿が、マスメディアからも好意的に評価され、人々にも受け入れられた。

雅子さまの笑顔 たしかに自信に満ちているように

「令和になっての雅子さまは威風堂々、自信を持って行動しているように見える」(「AERA」2019年6月10日号)との評価に見られるように、全国赤十字大会や全国植樹祭に伴う愛知県訪問など、雅子皇后はこれまで以上に積極的に公務を担っている。また、その顔は笑顔で、たしかに自信に満ちているようにも見える。2004年6月に適応障害の診断を受け、その後の療養期間は公務を休むことも多く、未だ療養中であるため、令和となってからも欠席の可能性はあった。

 しかし、皇后となってからは今のところ、むしろ積極的に公務を担っており、雅子皇后の病状は落ち着いているように見える。徳仁天皇とともに公務を行うその姿は、すでに「令和流」とも呼ばれ、その一挙手一投足が報じられている。即位前後、天皇・皇后と上皇・上皇后との「二重権威」が心配されていたが、今のところ、そのような状況は生まれていない。

平成はどのようにして始まったのか

 では、平成の時はどうだったのか。1989年1月9日の即位後朝見の儀において、明仁天皇は「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」と、人々に語りかけるような口語体で「おことば」を述べた。その「言葉は心に残りました」(「朝日新聞」1989年1月9日夕刊)という大学生の意見に代表されるように、天皇のそうした姿勢は評価された。時代がここで大きく転換したと見られたのである。

 この時は、前年秋より続いた、昭和天皇の病気に伴う「自粛騒動」が世間に強い印象を与えていた。ここから天皇制が持つ強い権威を間近で感じ、反発や疑問を感じる人々も多かった。そして昭和天皇の戦争責任が議論されるなど、天皇制とは何か、その是非をめぐっての議論も戦わされた(そうして注目された番組の一つが、「朝まで生テレビ!」だろう)。また一方で、昭和天皇の死去に伴う即位は、祝意という側面をも減退させることにつながった。平成の時の即位後朝見の儀は、喪に服した人々の服装で、全体的に黒い。こうした状況が、祝意が前面に出た今回の令和との大きな違いである。

 しかし、そうした状況のなかで、明仁天皇は人々に語りかける「おことば」を述べた。こうした方針は人々との関係性を重視するものと捉えられ、当時、「開かれた皇室」と呼ばれてマスメディアでは大きく注目される。たとえば読売新聞は、「開かれた皇室をぜひ タブーなくし伝統継承を」という見出しを掲げた記事を掲載した(「読売新聞」1989年1月10日)。それまでの天皇制には「タブー」が存在し、どこか人々とは隔絶した感があると、ここでは述べられている。それを打破するのが新しい天皇・皇后であり、それによって人々と精神的により近い「開かれた皇室」になる、そうした期待感がこの記事の中には存在していた。そして、それは人々にも伝わっていく。

「平成流」と呼ばれる行動はいつから始まったのか

 また、天皇と皇后は1991年に長崎県雲仙普賢岳の火砕流被害において避難した住民たちを見舞うため、長崎県を訪問する。そこで膝を突き、被災者と目線を合わせ会話したことが好意的に報道された。のちにいわゆる「平成流」と呼ばれる行動を、平成の初期から行っていったのである。

 NHKが5年ごとに行っている「日本人の意識」調査のなかに「あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか。リストの中から選んでください」という質問がある。「尊敬の念をもっている」「好感をもっている」「特に何とも感じていない」「反感をもっている」「その他」「わからない、無回答」という項目から回答を選択する。平成に入ってすぐの1993年の調査では、昭和のころに比べて、「好感」が倍増している。人々は、明仁天皇の姿勢を「好感をもって」見たのである。

「遠いよその人のよう」と述べる主婦の意見も

 とはいえ、「平成流」は評価されつづけたわけでもなかった。1998年の「日本人の意識」調査では「無感情」が44%「好感」が35%と、前回1993年調査と順位が入れ替わっている。先ほど述べた即位後朝見の儀の際には、「さめた目」と評価されるように、天皇を「遠いよその人のよう」と述べる主婦の意見もマスメディアのなかでは掲載されていた(「朝日新聞」1989年1月9日夕刊)。そうした人々は一定数いたのだろう。また、「好感」と答えた人々も、ある種の「ご祝儀」が終わったなかで、次第に飽きていったのではないか。

ある種の「ご祝儀」の時期が終わった時に

 この時期、「平成流」への評価はいまだ定着していなかった。被災地訪問や外国訪問時の戦争の記憶への取り組みなどは評価されつつも、そうした活動が日本国憲法に規定された象徴天皇の国事行為ではない公務であることから、そのような公的行為が拡大することへの懸念がマスメディアのなかに存在していた(たとえば「朝日新聞」1999年11月7日)。

「平成流」路線には保守派からの批判もあった。1993年の美智子皇后バッシング報道、1995年の評論家の江藤淳による「皇室にあえて問う」(「文藝春秋」第73巻第4号、1995年3月号)という文章の発表など、被災地訪問のあり方や人々との接触の様子などを批判する動きはあった。「平成流」路線が次第に評価され、「日本人の意識」調査のなかで、天皇について「尊敬」と答える人々が増加し始めるのは、2003年ごろからである。即位10年を経て、同じ行動を続ける天皇・皇后への評価が高まっていったと言える。

 現在、令和の天皇・皇后と人々の関係は「蜜月状態」のようにも見える。しかしそれは、「自粛」からの影響という違いはありつつも、平成の初期のころと相似する部分も多い。つまり、ある種の「ご祝儀」の時期が終わった時、人々は平成の時のように「無感情」になる可能性もある。その時こそ、令和の天皇・皇后の本領が発揮されるのかもしれない。

(河西 秀哉)

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