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日本人は、なぜ外国人の「隣」に座らないのか それは人種差別というほどでもないが

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2018/11/11 08:00 バイエ・マクニール
電車などでなぜか自分の隣だけ空席になるのはなぜか(写真:mk_ROMOGRAPHY/PIXTA) © 東洋経済オンライン 電車などでなぜか自分の隣だけ空席になるのはなぜか(写真:mk_ROMOGRAPHY/PIXTA)

 日本に住んで15年、もうとっくに”空席問題”には慣れてしまった。

 筆者だけではないと思う。日本に住む多くの外国人は、電車やバスに乗るとき、あるいは、カフェや公共の場にいるあいだ、多くの日本人が自分のそばに座らないという空席問題をある程度経験しているだろう。

日本人独特のシャイさの表れ?

 なかには、隣が空席なんて経験はないという人や、たとえ空席でも気にならないという人、空席のほうがゆったりできてむしろいいという人もいるだろうが、その他大勢の外国人にとっては違う。日本人とよりよい関係を築き、日本での暮らしをより快適にしたいと願うからこそ、空席問題を理解し、自分の中での問題解決に努める必要がある。

 私自身は、時間の経過とともにこの問題に対する考え方は変化してきた。いちばん最初の頃は、これこそ日本人の差別意識かと思いこみ不快に感じていた。だがすぐに、多くの日本人と知り合う中で彼らの意見を聞き変わっていった。

 私の隣の席が空くとしても、それが日本人独特のシャイさの表れと感じたことをもある。また違う視点では、どうやら私がどんな人間かを推測した結果、隣に座らないことをあえて選択しているのかもしれないと想像もした。

 そう思った理由は友人たちの助言だった。私が隣に座った人に誰彼かまわず英語で話しかけそうな人間だとか、不躾にも女性をナンパするのではないかなど、いずれも失礼な想像ではあるのだが、仮にこのように推測されていたとしても人種差別的だとは言えないレベルだ。もしかして隣を空けておくことが外国人に対する日本流の気づかいなのかと考えたこともあるが、この考えも長く続かなかった。

 いずれにしても外国人の隣に座ろうとしない日本人がとても多いということはいえる。理由はいろいろあるだろうが、少なくとも積極的に座るようなことは私の経験上ほとんど見掛けない。外見が日本人と異なるだけで、日本ではこの空席問題がつきまとうのだ。

 数週間前、私はまた自分の隣にスペースを感じながら電車に乗っていた。またも私の隣は空だったのだ。小さな地下鉄の車内は満席だったのに。

 電車で移動するとき、おそらく2回に1回は空席現象が起きると言ってもいい。その日の気分によって、この状態がひどく気になるときもあれば、あまり気にならないこともあり、この日はほとんど気にしないでいたのだが、人生とは感情の変化を繰り返すものなのだろう。自由が丘駅からある母娘が乗ってきた。

母親が私の隣の席を娘に促すと…

 電車が駅に到着し、大勢の乗客が電車を降りると同時に次々と乗客が乗り込むとき、なるべく視線をそらしている。それは、いかにも座りたい素振りの乗客が私の隣に空席を見つけて向かってきたのに、私の姿を見てあからさまに方向を変えてほかの座席を探しながら離れていくのを見るのが嫌だからだ。だからいつも目を閉じて、頭を下げるなどしている。

 そのときもそうだった。そして再び目を開けたとき、私の前に2つの小さな足が立っていることに気がついた。それがたった今乗ってきた、母親と一緒の幼い娘の足だと気づいたと同じタイミングで驚くことが起きた。その母親は、満員の車内で避けられていた私の隣の空席に座るよう娘に指示を出したのだ。

 しかし私よりももっと驚いたのは、まだ4〜5歳と思われるその娘のほうだ。はっきりと「怖い!」と言い放ち、目には恐怖の色を浮べ、母親の足に素早くしがみながら私をじっと見つめるのだった。

 実はこうした子どもの反応は想定内で、私が驚いたのは、娘がこうなるともわからずに私の隣を促した母親に対してだった。このような母親に出会ったのは、日本生活15年の中でも2、3度あるかないかだ。私がこのときどれほど驚いたかといえば、思わず、どうか娘への罰ゲームやお仕置きとして私を利用したのではないことを祈ったほどだ。

 私の意に反し、その母親は、娘の反応を恥ずかしく感じたような顔を見せた。なぜ怖がる必要があるのかわからないと呆れ果てた表情にも思えた。たいていこういうときの親たちは、「ああ、よかった。外国人だからこの子が言った失礼な言葉の意味もわからないだろう」という顔をしたりして、「おいおい子どものリアクションに言葉なんかいらないぞ」とツッコミたくなるものだが、彼女は違ったのだ。

 ではこの母親が娘に対してどう対応するのか、少し想像してみた。失礼な態度だとしかって幼い娘にさらなる恐怖心を与えるのか、あるいは、どうにも対処する手立てはないとして何もなかったようにするのか? いずれもありうることだと思い、私はせめて自分の視線を変えた。どちらの対処の仕方であろうと、目の当たりにするのは気分が良いことではないからだ。

電車が走り出すと、娘がチラチラと

 しかし私の予想は外れ、その母親は、自分自身が私の隣に座るという行動を取った。まだ怖がっている娘を同時に空いた反対側の席に座らせて、私のほうを向くと、軽く頭を下げながら「すみません」と謝った。私は首を軽く振って「いいえ……」と答えていた。

 さらに私は無意識的に、1cmほど彼女と反対側に自分の体をずらした。日本人が私の隣に座るときはいつもできるだけ体を離す。こうすることで彼らが持っているかもしれない不快感をいくらか和らげると信じている。身体的な不快感だけでなく、精神的な不快感をもだ。

 すると彼女は私のこの小さな気遣いも感じ取ったようで、座席の間にできたほんの小さな隙間に視線を落としながら、優しくあたたかにほほ笑んでまた軽く頭を下げた。

 電車は走り出して少し経つと、彼女の体の向こう側から先ほどの娘がチラチラと見ている視線に気がついた。まだ少し恐怖を残し、やや不機嫌な表情を浮かべ、この外国人ははたして自分の第一印象どおり”怖い”人なのかどうかを決めかねながら、なぜ母親がこの外国人の横に座らせようとしたのかを考えていたのかもしれない。

 母親の体を盾にして、3度、4度と顔を見せる少女。そこで私は少し、彼女の動きに合わせてみた。もう一度顔を出すのを待ち、顔が見えたら私は顔をそむけて彼女がまた隠れるのを待つ。何度か繰り返した後、少女は笑顔で顔を出してくれた。

 せっかく笑顔を引き出したのだが、すぐに目的地に着いてしまった。私は立ち上がり、ドアに向かって歩きながら最後に振り返ると、少女は私を見つめていた。そして小さく手を振り「バイバイ」と言った。ついさっき怖いと叫んだ同じ相手に向けて、今度は明るい表情だ。手を振り返しながら母親のほうを見ると、先ほどと同じ優しい笑顔で、今度は感謝の気持ちを示してくれていた。そう感じたのは、私も同じようにこの母娘に対する感謝で満ちていたからだ。

 日本の空席問題はいまだ解決できず、おそらくこれからも続くだろう。これを人種差別問題だとは思っていない。友人たちの推測のように、人種を基にするほどの話ではないだろうし、日本人が特定の人種を誤って理解をしているとか、不必要な恐怖心を持っているということでもなさそうなので、きっとこれは日本で起こる現象の1つとしてまだ続くのだろう。

外国人は無意味に怖がる存在ではない

 ではこの15年間、何か空席問題に変化はあったのだろうか。この母娘のエピソードは、何らかの変化を表しているのだろうか。事実はおそらく「イエス」だ。この母娘のおかげで私自身があの状況に新しい対応ができたこと、そのことに感謝していること、それらが重要な変化といえる。そして今もう一度、空席問題への考え方を新しくした自分を感じている。

 もう自分の隣の小さな空間に向かって、怒りや悲しみといった気持ちは薄れた。今はあの空席こそが、まるで日本的なものの見方を私にだけそっと教えてくれている存在のようだと感じている。電車だけでなく、カフェの中や大通りを歩いているときにも、私だけがアクセス可能であり、真実を映し出す情報ソースを得たような感覚だ。

 外国人を無意味に怖がった娘に対して、自分が隣に座ってみせた母親。シンプルで優しいやりとりを示したあの母親を、おそらく狭い車内に乗り合わせたほかの乗客たちも感じていただろう。その中にはきっと、外国人の隣を無意識に避けた過去を振り返った人がいるかもしれないし、彼女の行動から意識を変える人がでるかもしれない。外国人を無意味に怖がる必要もなければ、避ける対象でもないと考えるきっかけになることを心から願う。

 私自身の意識も変わり、そして、たった数分の間に恐怖を笑顔に変えた、あの少女のように。

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