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突如閉店した東京・町田の高原書店 古本屋業界に起こした革命

文春オンライン のロゴ 文春オンライン 2019/05/24 18:45 黒田 創

 5月8日、東京・町田で高原書店という古本屋が突如閉店した。お店のフェイスブックがその旨を告げ、同じ日に破産手続き開始が決定したという。この店をご存じない人は「古本屋がつぶれるなんて今時よくあることでは?」と思われるかもしれない。

 しかしここはただの古本屋ではない。しばらくの間はツイッターで「高原書店」と検索すると、突然の閉店を驚き悲しむツイートが連日挙がっていた。町田周辺に住む人のみならず、本好きがこぞってここを訪れて古本を買い求め、かつお店そのものに長年親しんだことが窺える。

小田急線町田駅近くにあった高原書店。4階建ての巨大店舗だった ©黒田 創 © 文春オンライン 小田急線町田駅近くにあった高原書店。4階建ての巨大店舗だった ©黒田 創

ブックオフ出現前の「とにかく広い古本屋」

 多くの人が高原書店に引き付けられた一番の理由はその広さ。小田急線町田駅から徒歩5分。元は大手学習塾だった4階建てのビルのすべてに古本が詰め込まれ、1階は絵本や漫画、2階は文学や美術、哲学書といった具合に大まかに分かれている。学習塾の教室を居抜きで使っているため、ある部屋は日本文学、こちらは新書と文庫、あっちはスポーツ関係とさらに細かくジャンル分けされていた。玄関を入ると右に会計カウンターがあり、そこで店員さんに貴重品以外の荷物を預けて引き換えに番号札をもらう。同じく巨大古本屋として知られる宮城・仙台の萬葉堂書店も同様のシステムだが(こちらはロッカー式)、それほど規模が大きく、店員の目が行き届かないのだ。

 高原書店は1974年に創業している。当初は現店舗近くの10坪ほどのスペースで開店し、幾度か引っ越しを繰り返した後の85年、小田急線町田駅横の踏切そばに建つPOPビルに移転した。昔は緑屋というデパートが入り、現在も居酒屋や富士そばなどが入居する大きな雑居ビル3階のワンフロア、150坪がまるごと古本屋という規模。まだブックオフが出現する前であり、この巨大店舗は高原の名を各方面に轟かせるきっかけとなった。

「どんな本も身分に上下はない」

 この店で創業者の故・高原坦氏はユニークな仕組みを導入する。広いフロアをAとBの2フロアに分け、昔ながらの古書をAフロアに、Bフロアには比較的近年に出版された一般書を定価の半額で並べたのだ。普通の本を定価の半額で売るのは、長期間売れない本や多少汚れている本を100~200円の均一棚に回すブックオフを中心とした新古書店の販売システムの先駆けといえ、本の知識がないアルバイトでも機械的に値付け作業ができる。高原氏は多くの古本屋が希少価値の高いいわゆる「古書」や専門書を扱っていた70年代からこのスタイルを取り入れており、業界内では異端の存在だったと言う。

 筆者は98年に初めてPOPビル時代の高原書店を訪れ、その広さに圧倒されると同時にBフロアの半額本棚を見るのに夢中になった。当時店舗数が300(現在は800超)と規模を拡大しつつあったブックオフはあくまできれいな状態の古本を売るビジネスモデルだが、高原のそれはまさに玉石混交。中には状態的には多少難があっても各ジャンルのレア本が結構見つかるのだ。そこがブックオフとの決定的な違いで、安くは売っていても本に対する愛情が感じられた。かつて雑誌『東京人』で高原社長に取材した評論家の坪内祐三氏は「高原さんは本を本として、どんな本も身分に上下はないという信念を持っていた」と語っている。(※)

 売り上げを伸ばし、横浜にドリームランド店、新大久保に新宿古書センターをオープンするなど順調に事業を拡大していたが、お膝元である町田に99年、日本最大規模のブックオフ町田中央通り店がオープンしたことで打撃を受ける。これを機に支店を閉め、2001年には家賃の高い駅前店舗から少し離れた現店舗に本店を移転する。冒頭で触れた通り、これがPOPビル以上の大型店舗だったことで訪れた人を再び驚かせた。また同時期にサイトでの販売をスタートさせ、02年にはアマゾンマーケットプレイスとも提携するなど、古本のネット売りでも業界の先駆者となる。それを可能にしたのは徳島の倉庫にある200万冊の膨大な在庫。「現在の私たちにとって価値が低いと思われる本が、後の時代の人にとって別の価値を持つこともあるかもしれません。しかし、私たちが本を残そうとしなかったばかりに、その本がもう読めない、あるいは非常に高価で一部の人しか手に入れられないということになっては問題です」と同店ホームページに綴られているが、本当にどんな本でもあるのが高原書店だった。

三浦しをんさんが働いていたことでも話題に

 2006年には三浦しをん作『まほろ駅前多田便利軒』が同年上半期の直木賞を受賞。三浦氏が作家活動を始めた時期に高原書店で働いていたことが話題となる。作品の舞台が町田をモデルとしていることもあり、映画化された際には高原書店の主導で町田駅から店舗に至る市道に「小田急北口まほろ横丁」という通り名が数年間実験的に付けられた。店内には三浦氏をはじめ、町田に縁が深い白洲正子のコーナーなども設けられ、こうした点も読書家を引き付けた。また吉祥寺のよみた屋、西荻窪の古書音羽館など、かつて高原書店で働いた方たちがその経験を基に個性的な古本屋を営んでいる。

 個人的には20年通い続けたが、ここ数年は訪れても棚の在庫が入れ替わっていないように思え、かつてのワクワクを感じられなかったのが正直なところ。倒産の一報が流れた5月9日の前日8日、数か月ぶりに本を探しに訪れたら玄関のドアが半開きになり、定休日でもないのに臨時休業の張り紙が。変だなと思っていたが、その時点でもう閉店していたことになる。4月初旬からすでに臨時休業状態だったという。

 創業者である高原坦氏は糖尿病を患い2005年に亡くなっているが、その1年ほど前に店舗で値付け作業を行う高原氏を目撃したことがある。椅子に座り身体もしんどそうな様子だったが、真横でスタッフが書名と本の状態を読み上げると張りのある声で「2500円」と売り値を答えるのだ。それは淡々と、小一時間ほど続き、冬場のしんとした店内に静かに響き渡っていた。その光景は今でも目に焼きついている。

(※)『別冊本の雑誌16 古本の雑誌』(本の雑誌社)「高原書店について語ろう!」より。

(黒田 創)

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