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細川家最後のキリシタン重臣 処刑、追放命令示す書状 熊本大、初の1次史料発見

熊本日日新聞 のロゴ 熊本日日新聞 2021/02/10 10:04 熊本日日新聞社
熊本大付属図書館が所蔵する松井家文書から見つかった「(元和五年)九月九日 冨嶋猪兵衛等三名書状」(同図書館提供) © 熊本日日新聞社 熊本大付属図書館が所蔵する松井家文書から見つかった「(元和五年)九月九日 冨嶋猪兵衛等三名書状」(同図書館提供)

 熊本大永青文庫研究センターは9日、小倉藩主時代の細川忠興が、細川家最後のキリシタン重臣だった加賀山隼人の処刑と、忠興の妻ガラシャの最期に付き添って自刃した小笠原少斎の息子玄也の追放を命じたことを示す書状が見つかったと発表した。2人の処分についてはイエズス会の史料でしか確認されておらず、細川家内で1次史料が見つかるのは初めてという。

 同センターによると、書状は熊本大所蔵の松井家文書から見つかった。1619(元和5)年9月9日付で、2人の身柄を管理する役人の冨嶋猪兵衛らが、細川家第一家老の松井興長に宛てている。

 2人は、1614年の江戸幕府による全国禁教令以降も改宗しなかった細川家キリシタン重臣の代表的存在。書状には、加賀山の処刑命令を忠興が下したことを承知したと書かれ、小笠原については、ガラシャと最期を共にした父少斎の忠節に報いて助命を申し渡すと「忠興様には何と申し上げてよいか分からないほど感謝しております」と述べたことが分かるという。

 19年はキリシタン弾圧史上最大級の事件の一つ「元和の京都大殉教」があった。忠興は2人を重用していたことから禁教令後も信仰を黙認していたが、大殉教に危機感を抱き、処分を国元で断行したとみられる。

 イエズス会宣教師が2人の処分をローマに伝えた報告書には、玄也の処遇について「最下級の奴隷でもあるかのよう」とあるが、誇張していた可能性もうかがえるという。

 同センター長の稲葉継陽教授は「領主階級内部の非キリシタン化の完了を象徴しており、日本キリシタン史において大きな発見だ」と話している。(園田琢磨)

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