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藤井聡太の完璧さにマジックはない。若き羽生善治の“伝説”を思い出して。

Number Web のロゴ Number Web 2020/07/08 19:00 片山良三
羽生善治(左)と藤井聡太。2人の棋士に触れた人々が持つ感情は、尊敬を超えて畏怖の境地ともいえる。 © Number Web 提供 羽生善治(左)と藤井聡太。2人の棋士に触れた人々が持つ感情は、尊敬を超えて畏怖の境地ともいえる。

 中学生のうちに奨励会を卒業して棋士になった早熟の天才は、将棋史に5人しか存在しない。加藤一二三('54年、14歳7カ月/以下敬称略)、谷川浩司('76年、14歳8カ月)、羽生善治('85年、15歳2カ月)、渡辺明('00年、15歳11カ月)、藤井聡太('16年、14歳2カ月)という面々だ。

 どのお顔も、当然のようにタイトル経験者。この中に入って最年少記録を打ち立てた藤井聡太も、間もなくその栄誉を手にすることになるのだろう。

 将棋界ほど早熟がもてはやされる世界はない。20代後半ぐらいまでが棋力の伸びのピークとプロ棋士の誰もがそれを実感しており、それまでにどれほど高いレベルの経験を積んだかがその後も含めての棋士人生を決めると信じられているのだ。

 中学生棋士は、必然的にピークに至るまでの助走距離を長く取ることができる。強者との実戦がほかの何事にもまさる経験だとするならば、できるだけ早くプロの世界に入ってもまれた方がいいのは当然の理屈だろう。

 14歳、15歳という若さで、先輩棋士たちと真剣を交える経験を積み重ねることによる収穫の大きさ。誇張ではなく、寝て起きるたびに強くなるのだ。いや、藤井聡太の場合は息を吸うごとに強くなっているのかもしれない。

同期・谷川浩司の光速流にひれ伏した。

 筆者は'73年に奨励会に入り、'78年まで足掛け6年の在籍を経験した。

 谷川浩司が同期入会だったが、関東と関西に分かれており、そもそも15歳入会と11歳入会なのだから、その時点で格が違っていた。

 もちろん、負けるものかという気概は持っていたはずだが、のちの17世名人は僅か3年余で苦もなく四段に駆け上がってしまった。その勝率も凄かったが、ときおり雑誌に紹介されることで目にする将棋の内容も桁違い。のちに光速流と呼ばれることになる、異次元とも思える寄せの速さには、ただひれ伏すしかなかった。

羽生善治という天才を間近に実感。

 天才とはどんな人なのかを間近で実感したのは、羽生善治だ。

 '82年に12歳6級で入会して、'85年12月に四段昇段。筆者はちょうどその時期に、日本将棋連盟が発行している「将棋世界」誌で「奨励会だより」を書かせてもらっていて、そのきらめくような将棋の才能をたっぷりと観察する至福に浸ることができたのだ。

 羽生が1級か2級のときに、6級から三段までの奨励会全員を対象に、チェスクロックを使用しての10分切れ負けトーナメントが開催された(スポンサーがついて、ちゃんと賞金もあった)ときのことだ。

 決勝の組み合わせは所司和晴二段(のちに渡辺明の師匠になる現七段)対羽生。最終盤で形勢自体も悪かった所司が、最後は時間に追われて銀を横に滑らせてしまう反則を犯して負けとなったのだが、入会僅か1年の羽生の優勝を番狂わせと驚く声はなかった。

 正確な指し手を続ける若い子がいる、という噂はすでに上位棋士の間でも囁かれていたのだ。

「将来、必ず価値が出る棋譜」

 当時、「奨励会だより」の関西分を書かれていた東和男さん(現八段)が「佐藤康光君(現九段、名人2期)は関西の将棋界を背負って立つ素材だと見込んでいただけに、お父さんの仕事の都合とはいえ関東に移ってしまうのは本当に惜しい」と真顔で話されていたのを聞いていて、2人の奨励会初対局(羽生二段-佐藤康初段の香落ち。羽生勝ち)に張り付いて、全棋譜を掲載したのが思い出深い。

 決して広くないスペースに棋譜を羅列したのは後にも先にもこれっきりだったが、「将来、必ず価値が出る棋譜」と書けたのは、新馬戦の時点でスーパーホース出現を予言できたことぐらい、あとになってからうれしかった。

羽生世代の中で19歳でのタイトル。

 羽生の初タイトルは、19歳2カ月で初代竜王の島朗をフルセットで破って奪った竜王位。彼にしては少し時間がかかったのは、いわゆる羽生世代と呼ばれる佐藤康光、森内俊之(18世名人)、村山聖、先崎学らの壁が厚かったから。そしてこの世代からはのちに郷田真隆(タイトル6期)、丸山忠久(名人2期)、藤井猛(竜王3期)といった名棋士も生まれている。

 思えば凄い時代の奨励会を見てきたわけだが、その中でも羽生はピカイチの存在。その指から自然にこぼれ出てくるような、本筋をとらえた指し手の連なりは、まさに天才によるそれにしか見えなかった。

 藤井聡太の奨励会時代を知らないが、新四段としてデビューするや、トップ棋士たちとのつば競り合いを次々と経験して、元々高いポテンシャルが、対戦相手の強さによってさらに磨かれてきたことがわかる。

藤井聡太に勝ち越している棋士は?

 しかも、多くの場合は勝ちながら強くなるのだから、相手としてはたまらない。

 羽生に3-0、渡辺明にも3-0、永瀬拓矢には2-0、木村一基には1-0。久保利明に2-3、佐々木大地に1ー2、同期の大橋貴洸にも2-3というのが気になる星だが、勝率8割超えでも、負け越す相手が少数はいるものなのだ。

 現状で藤井聡太の大きな壁となっているのが豊島将之竜王名人だ。第一人者として、藤井相手に4-0と貫禄を示しているのはさすがの一語。だからこそ、竜王戦の挑戦者決定トーナメントの藤井の勝ち上がりが注目を集めることだろう。

 タイトル戦であっても、トップ棋士同士の指し手がAIによる評価値によって、一手ごとに冷酷なほどに明らかにされるのが現代の将棋中継だ。

 棋力がなければ、形勢さえも追えずに退屈するばかりだった中継が、機械が判定する形勢メーターを見れば一目瞭然。野球中継のスコアボード以上にわかりやすくなっている。

「羽生マジック」に比類する表現は?

 藤井聡太の将棋は、まさにこの時代に合わせて出現したものと言えるかもしれない。

 難解極まりない終盤戦で、AIが指摘する最善手を、見事なほどに追い続けられる正確さが、評価値によって視聴者に伝わってくるのが新しいのだ。

 その昔、「羽生マジック」と恐れられた逆転術に比類する表現は藤井聡太にはまだないとはいえ、それが必要ないほどの完璧さが、信じられないほどの高勝率をガッチリと支えている。

 彼の天才性を表す言葉は、まだない。

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