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過去には販売差し止めも… 対コロナ妖怪「アマビエ」が流行るワケ

AERA dot. のロゴ AERA dot. 2020/04/04 11:30
アマビエ(『肥後国海中の怪』京都大学附属図書館蔵) © AERA dot. 提供 アマビエ(『肥後国海中の怪』京都大学附属図書館蔵)

 ツイッター上で「疫病退散」や「終息祈願」などのコメントとともに拡散される、奇妙なイラスト。とがったくちばしに、ぎょろっとした目。うろこだらけの体は人魚のようだが、その正体は「アマビエ」と呼ばれる妖怪だ。

 アマビエが初めて“目撃”されたのは、江戸時代にさかのぼる。肥後の国(熊本)の海に現れたアマビエが、「病気が流行したら私の絵を描いて広めよ」と告げたとされている。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、そのアマビエがSNS上でにわかに注目を集めている。終わりの見えない未知のウイルスへの不安やデマが飛び交うなかで、ツイッターにアマビエのイラストを投稿する人が急増した。この奇妙な妖怪がなぜ生まれ、人々の心を動かすのか。アマビエに詳しい、福井県文書館職員の長野栄俊氏が読み解く。

*  *  *

 144年前の明治9年(1876)6月21日、『長野新聞』は紙面に奇妙な図版を載せた。長髪に突き出した口、ずん胴の下には3本のヒレ、背には背びれもある “異形”だ。記事には、

<肥後国(熊本県)青沼郡磯野浜に毎夜現れて人を呼ぶものがあった。光を放って恐ろしい姿である。通りかかった旧熊本藩士の芝田忠太郎が素性を問うと「私は海中で(世界を?)司る尼彦である。今年から6年間は豊作だが、国中に激烈の難病が流行して6割ほどの人が死ぬだろう。しかし、私の姿形を写して朝夕見る者はこの病気を免れることができる。このことを告げるため、毎夜こうして陸に上がってきて待っていたのだ」と答えた。人々はこれを「尼彦入道」と名付け、その姿を写し持っているとのことだ>(原本から筆者訳)

 とある。同紙の読者がその流行と拡散の真偽を問うたことから記事になったようだが、同紙記者は「そんな話は聞いたことがないし、不開化の人たちには誠に困ったものだ。こんなものを写して見るくらいなら、新聞を読んで養生しなさい」と締めくくっている(ちなみに青沼郡磯野浜という地名は実在しない)。

 さて、現代でも似たケースがツイッターをはじめSNS上で大流行している。新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、冒頭の「アマビエ」を描いた摺り物(かわら版)の資料画像とその二次創作物が日々拡散を続けているのだ。元の摺り物には弘化3年(1846)の日付があり、次のような文章が載っている。

<肥後国海中へ毎夜光物出る。所の役人行き見るに図のごときの者現ず。「私は海中に住むアマビヱと申す者なり。当年より6か年の間、諸国豊作なり。しかし病流行。早々私を写し、人々に見せそうらえ」と申て海中へ入けり。右は写し、役人より江戸へ申し来る写なり>(原本から一部表記を改めた)

 これを先の尼彦入道の記事と比較してみてほしい。海中から現れ、豊作と病気流行を予言した点は同じで、自身の姿を写して人々に見せるよう告げた点も似ている。図像は一見の印象ではあまり似ていないが、図を構成する個々の要素——長髪・突き出た口・ずん胴・3本のヒレ——は一致しており、左向きという点も同じだ。この類似は偶然のことなのか。

■アマビエと尼彦入道に共通する原種“あま彦”

 じつは尼彦入道とアマビエには共通の原種がいた。天保14年(1843)に流行した「あま彦」である。この年代の記載がある「あま彦」の資料は、御三卿田安家の徳川斉匡の貼交帖『献英楼画叢』に2点、名古屋の「同好会」メンバーによる2冊の風説留(情報や噂の記録集——水野正信『青窓紀聞』と小寺玉晁『連城亭随筆』)に2点の計4点が確認されている。いずれも元はアマビエの摺り物のように一紙の状態で流布したものらしい。

 これらの資料には、3本足の猿のような図像がやはり左向きで描かれており、文章には、肥後に現れて猿の声で人を呼んだこと、「我は海中に住むあま彦と申すもの也」と名乗ったこと、この先6年間の豊作と病気流行による人間の大量死を予言したこと、自身の姿を書き見て諸国に広めるという除災方法を告げたことなどが書かれている。

 では今度は3者を比較してみよう。まずは図像だが、左向きで3本足(ヒレ)という点は共通するが、あま彦が猿なのに対し、アマビエと尼彦入道には長髪の魚類という特徴が見られる。文章は、あま彦と尼彦入道は非常に似ているが、アマビエだけ情報量が少ない。またアマビエの名は「あま彦(アマビコ)」の「コ」の字が「ヱ(エ)」に置き換わったものだが、その点は尼彦入道に引き継がれていない。

 以上の比較から、原種と亜種という関係性は間違いなさそうだが、どうやら一直線に「あま彦→アマビエ→尼彦入道」と“進化”を遂げたわけではないらしい。あま彦と亜種のアマビエ・尼彦入道との間は、現在ミッシング・リンクとなっているが、文章があま彦とほとんど変わらず、図像に魚類・長髪の要素が加わった別の種がいたはずで、そこからさらに枝分かれして“進化”していったものと推測できる。

■200年前の“人魚ブーム”から始まったメンタリティ

 さらに時代をさかのぼり、あま彦の“進化”に影響を与えた種を探ってみよう。文政2年(1819)に江戸で「神社姫」、大坂で「姫魚」、名古屋で「人魚」という類似の怪異情報が流行した。摺り物・転写物等あわせて10点ほどの資料が確認されている。文章・図像とも細部に違いはあるが、おおよそ次のような共通点がある。

 まず文章には、肥前国(長崎・佐賀県)の浜辺に現れた竜宮の使者が、7年間の豊年と「コロリ」病の流行を予言し、自身の姿を書いて見る、またはそれを門に貼り置くという除災の方法を告げた、とある。図像はほとんどが左向きで、人面の頭部には角と長髪、長い胴体には魚か蛇に似たウロコ、特徴的な3本の剣状の尾ビレがある。

 実際この年の夏には「痢病」が流行ったことから、こうした図像入りの情報が摺り物または転写物によって流布し、一種の護符(お守り)としての役割を果たした。当時の人々の間には、珍獣や幻獣の姿を“見る”と除災招福の御利益があるとのメンタリティが存在していた。これに先立つ文化2年(1805)、予言の文言こそないものの、人魚(長髪の人面魚)の摺り物が災い除けの護符として販売されたのも同様の現象だ。こうした流行の記憶が後のあま彦流行時に、魚類・長髪の要素を持ち込むことになったのではないか。アマビエと尼彦入道は、猿系3本足のあま彦と長髪人面魚系の神社姫の両方の形質を受け継いだだけでなく、その護符としての機能もあわせて継承したのだと言えよう。

 19世紀初頭から明治10年代にかけて、人間に予言と除災の方法を告げたモノの存在が数多く確認されている。妖怪研究家の湯本豪一氏が、これらのモノを括る“予言獣”という概念を示したことで、誰もが気付いていなかった新たな種が“発見”され、また個々の特性や相互の類似関係が徐々に明らかになってきた。ただし“予言”の部分に重きを置くか、または摺り物や転写物の“護符”機能を重視するかで、後続の研究者の“予言獣”評価は異なっている。

 現在、SNSにおける流行では、アマビエの“予言”部分には触れないものがほとんどだ。もっぱら「疫病退散」や「終息祈願」などのコメントとともに画像が“護符”の一種として拡散され、スマホの待ち受け画面にもなっているという(「経済回復」を願うものまである)。

 よく読めば、アマビエの摺り物には護符としての効能は明記されていないが、それが神社姫やあま彦の系譜を引くものである以上、当時の購入者はこの摺り物を単なるニュース・メディアとして求めただけではなく、護符的な力も期待していたことは想像にかたくない。

■かわら版からハンドメイドのストラップまで進化

 アマビエについては摺り物1枚が伝わるだけで、詳しい受容の経緯を追うことができない。そこで最後に、代表的な“予言獣”である天保14年のあま彦の拡散の歴史をたどることで、これらの特性を明らかにしてみたい。

 まず、天保14年中の流布に際し、すでにあま彦の「異本」があわせて流布していた。図像は簑(みの)を着た3本足の手の無い人間のように描かれており、文中の出現場所が異なるほか、予言の豊年期間が5年と短い。猿系と簑系、どちらが原種に近いかの見極めは難しいが、相互に影響を及ぼしあったことは確かだろう。また、翌天保15年(1844)には「海彦」「雨彦」と名を変え、文章も図像も幾分か異なるものが越前国(福井県)の豪農商の家で2点確認されている。いずれも手書きでの転写を重ねて拡散する過程での変容だ。

 その後、明治8年(1875)の新聞に載った「天日子尊(あまひこのみこと)」は4本足の動物のように描かれており、あるいは翌9年の新聞に載った4本足の恐竜のような「アリエ」も「あま彦→天日子尊」のさらなるヴァリエーションかもしれない。

 コレラが流行した明治15年(1882)の新聞には、東京の絵草紙屋(娯楽本や錦絵の版元・販売店)で「三本足の猿の像」と「老人の面に鳥の足の付いた得体の分からぬ絵」が「コレラ病除けの守り」として販売されたとの記事が載る。前者は天保14年のあま彦を復刻したもので、その錦絵が現存しており、後者も「尼彦入道」と題した単色の摺り物が伝来する。疫病の流行やその“気配”にあわせて各種の“予言獣”は繰り返し何度も出現しており、アマビエも突如として現れたものではなかったのだ。

 転写やリバイバルを重ねるうち、元の姿が徐々にあるいは大胆に変容していく。これは写す人の絵の能力、あるいは摺り物を売る側の“工夫”によるのだろうが、今回のSNSでの拡散でもやはり図像の変容現象が起きている。

 素人からプロのクリエイターまで、多くの人が投稿した画像を見てみると、華やかに彩色されたものが多く、左向きだけでなく正面を向いたものや3本のヒレが10本ほどに増えたもの、人魚に寄せて描かれたもの、擬人化が進んだものなど、その形態はさまざまだ。また媒体の変容も進んでいる。フリマサイトではアマビエのTシャツや缶バッジ、ハンドメイドのストラップ、それにお札やお守りなど護符の類までもが販売され始めている。

 明治時代の役人は「えたいの分らぬ絵などを販売するは愚人を惑し、甚だ予防の妨げに成る」として「あま彦(尼彦)」や「尼彦入道」の図像販売を差し止めたという。現代のSNS上でも社会を混乱に陥れ、感染症予防の妨げとなる悪質なデマが数多く拡散されている。それらと比べれば、愛らしいアマビエ画像のリバイバルと変容、拡散(リツイート)は、閉塞感漂うこのご時世にちょっとした楽しみと連帯感を与えてくれているように思う。(文/長野栄俊)

◯参考文献

湯本豪一「予言する幻獣」(小松和彦編『日本妖怪学大全』小学館,2003)。同『日本幻獣図説』河出書房新社,2005。長野栄俊「予言獣アマビコ考」(『若越郷土研究』49-2,2005)。同「予言獣アマビコ・再考」(小松和彦編『妖怪文化研究の最前線』せりか書房,2009)。湯本豪一編『帝都妖怪新聞』KADOKAWA,2013。笹方政紀「転写する呪い」(『怪』vol.0044,2015)。湯本豪一『日本の幻獣図譜』東京美術,2016。常光徹『予言する妖怪』歴史民俗博物館振興会,2016。笹方政紀「護符信仰と人魚の効能」(東アジア恠異学会編『怪異学の地平』臨川書店,2018)。

◯長野栄俊(ながの・えいしゅん)

1971年生まれ。文書館職員・図書館司書。主な著書(共著)に『妖怪文化研究の最前線』(せりか書房)、『47都道府県・妖怪伝承百科』(丸善出版)、『日本奇術文化史』(東京堂出版)、論文に「予言獣アマビコ考」などがある。

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