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逸見政孝さん「がん告白」から26年、その衝撃の大きさと公表の勇気

週刊女性PRIME のロゴ 週刊女性PRIME 2019/03/04 05:00 週刊女性PRIME [シュージョプライム]
逸見政孝さん © 週刊女性PRIME 逸見政孝さん

 4月30日で「平成」は幕を閉じ、5月1日から新元号へと変わる。結婚、離婚、不倫に訃報、自殺や事件にトラブルと、平成の30年間の芸能史を振り返ってみると、さまざまな出来事があった。平成の幕開けとともに芸能記者となった筆者が見てきた、芸能界の30年間の喜怒哀楽。第5回は「平成5年」。

逸見政孝さん © 週刊女性PRIME 逸見政孝さん

平成5年

 平成5年といえば皇太子さまが、当時、外務省のキャリア官僚だった小和田雅子さん(現・皇太子妃の雅子さま)とご結婚された年だ。

 ご成婚のパレードには、約19万2000人が祝福の列をなし、その模様はテレビ中継され、大きなニュースとなった。また、キャリアウーマンからの皇太子妃は海外でも報道され、話題になった。

 スポーツでは、サッカーのプロリーグ「Jリーグ」が開幕。連日スポーツニュースで取り上げられ、小・中学生の憧れの職業が、野球選手からサッカー選手になった時代だ。現在も現役で活躍するキングカズこと、三浦知良率いるヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)がリーグ優勝。カズは初代MVPのほか、日本人初のAFC年間最優秀選手賞に輝き、日本中がサッカーに沸きはじめた。

 その一方、初めてのサッカーW杯を目指すサムライブルーは、イラクとの予選最終戦で終了間近に失点し、本大会出場の夢が消えた“ドーハの悲劇”も経験。

 大相撲では史上初の外国人横綱として曙が誕生。若貴ブームの熱も続き、相変わらず相撲人気は高く、身内でもチケットが取れない状況が続く。

 バブル期の計画による建築ラッシュで、福岡ドーム、横浜ランドマークタワー、レインボーブリッジなど、日本を代表するランドマークも続々と完成していった。

ニュースの顔からバラエティへ

 そしてこの年、テレビの世界でもっとも衝撃だったのは、フリーアナウンサーの逸見政孝さん(享年48)の死だ。

「バラエティー番組全盛期。当時、その頂点にいたのがフジテレビでした。逸見さんは、フジテレビのアナウンサーとして、かなり真面目な風貌でした。髪は七三分け、メガネにスーツ。表情も硬く、話し方も常に敬語で、バラエティーというよりも報道向きのアナウンサーでした。

 昭和の末、大人気だったおニャン子クラブの『夕やけニャンニャン』に続いて放送されるニュース番組の宣伝スポットに、逸見さんが登場。すると、『夕やけ──』MCのとんねるずのいじりによってそのトークがウケはじめ、逸見さんの見た目としゃべりのギャップが、バラエティーには欠かせない存在になりました」(当時を知るフジテレビ局員)

 のちにフジテレビのバラエティーを代表するタモリ、ビートたけし、明石家さんまの特番の司会は、いつも逸見さんが担当していた。そして、クセの強い3人を相手に堂々たるMCぶりを発揮。局アナからフリーに転身後も笑顔と優しい語り口は、他局のバラエティー番組でも不動の人気を築いていた。

 レギュラー番組が週に5本、まさに人気絶頂期のさなか、逸見さんは緊急会見を行う。

「私が今、侵されている病気の名前、病名はがんです」

 近年は、小林麻央さん(享年34)が乳がんの闘病記をブログでつづり、競泳の池江璃花子選手(18)は白血病を告白、歌手の堀ちえみ(52)は、舌がんのステージ4であることを公表するなど、自ら発信していくことが多い。

 しかし、当時の逸見さんのがん告白会見は非常に珍しかった。なぜなら今ほど医療が進んでおらず、がんという病気は“死”を意味する強烈なインパクトを与えるため、医師が本人に告知すら行わない時代でもあったからだ。

 この年の1月に自覚症状があり、紹介された病院で「初期の胃がん」と告げられ手術をしたが、実際にはすでに、がんは腹膜にまで転移していたという。しかし、その事実は家族にだけ明かされ、本人には告知されなかった。初期の胃がんだと信じて退院した逸見さんは、仕事復帰した当初、病名を十二指腸潰瘍と偽って公表していた。

 夏には手術跡にできたケロイド状の突起を切除する。がんはすでに腹腔全体に広がっており、手がつけられない状態になっていたが、この時も本人には伝えられなかった。その1か月後、逸見さんは別の病院で、がんが再発し末期的な状況まで進行していることを知らされ、がく然としたという。

 緊急会見後に全ての仕事を休止して入院。13時間にも及ぶ大手術を受けるも、結果的に根治することはできず、約3か月後の12月25日に48歳という若さで他界した。最期の言葉は朦朧(もうろう)とする意識の中で息子の太郎に言った「三番が正解です」だったといわれている。

逝去後も続いた苦しみ

 逸見さんが亡くなった後、「スキルス性胃がんは特殊な進行がんであり、末期の状態で、なぜ大手術を受けたのか」「別の治療を選んだほうが余命はのびたのではないか」など、多くの疑問の声が出た。一方で、「腸閉塞を防ぐため、中・長期的な生存のために手術は必要だった」という見方もあり、賛否両論が巻き起こったが、残された家族にとっては、死後も治療に関する報道が続き、つらい時間を過ごすこととなった。

 大黒柱を失った家族に容赦なく襲いかかったのは、治療に対する賛否だけではない。新築したばかりの自宅のローンが、家族にのしかかる。

「当時、大人気の逸見さんは3階建て7LDKの12億円もの豪邸を建設したばかりだったのです。亡くなったあと生命保険などで返済はしたものの、奥さんの晴恵さんは約5億円の借金を抱えたといいます。でも晴恵さんは逸見さんの形見として、家の売却だけはしなかった。逸見さんの関連本を執筆し、全国各地で行われた、がん闘病の講演会を年間100本はこなしました。そして2人の子どもも芸能界に入り、家計を支えました。

 そんな晴恵さんも子宮がんなどを患い、長い闘病生活を経て2010年、子どもたちに“家をよろしくね”と伝え、61歳で他界しました」(前出・元フジテレビ局員)

 現在、その豪邸には長男の逸見太郎が住んでいる。しかし、約140坪という広さだけあり、維持費だけでも大変だという。

「広いので節約しても光熱費だけで月に10万円以上。固定資産税は年間で400万円以上かかるようで、建築から25年以上が経過し、今後は大規模な修繕費なども増えてくると思います。太郎さんもフリーとはいえ、現在のレギュラーは地方番組1本だけ。いよいよ維持が難しくなって、等価交換で部分的に土地の売却を本気で考えているようです」(芸能事務所関係者)

 家族一丸となって守ってきた逸見さんの形見だが、今の時代、維持は困難だろう。天国で見守る両親も、思い悩む太郎を許してくれるかもしれない。

<取材・文/宮崎浩>

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