トヨタ社長交代、なぜ豊田章男氏はトップの座を降りたのか 語った「クルマ屋の限界」とは
トヨタ自動車が1月26日に新人事を発表。4月1日から、現レクサスとGRのトップを務める佐藤恒治氏が社長に、現社長の豊田章男氏は代表取締役会長に就任する。同社は16時からライブ配信にて、豊田氏の口から社長交代に至った経緯などを説明したが、そこで語られたのが「クルマ屋の限界」というフレーズだった。
自動車業界は100年に1度の大変革期を迎えており、電動化、コネクテッド、モビリティサービスの波が押し寄せている。豊田氏も2018年のCESにて「トヨタをモビリティカンパニーへと変革する」と宣言し、ハイブリッドだけでなくEV、FCV(水素電池自動車)車の投入、モビリティサービス専用車「e-Palette」構想、サブスクリプションサービス「KINTO」の提供、実験都市「Woven City」の建設など、モビリティカンパニー化を牽引してきた。
その一方で、豊田氏は大の車好きとしても知られており、国際C級ライセンスを持ち、「モリゾウ」というプロのレーシングドライバーの一面を持つ。自らハンドルを握るマスタードライバーとして、トヨタ車の味付けにも深く関与しており、スポーティーな走りができる車種が増えたのも同氏の影響が大きい。いわゆる「カーガイ」のキャラが色濃い同氏が配信で何度も口にしたのが、先ほどの「クルマ屋の限界」というキーワードだ。
「クルマ屋だからこそ、トヨタの変革を進められた」「執行トップでもあるし、マスタードライバーでもあり、商品化決定会議の議長でもある。内山田会長とともに商品づくりをしてきた」としつつも、「どうしても最後はクルマ屋の枠を出ないクルマづくりに向かっていたと思う。『I Love Cars』の情熱が強いゆえに、デジタルかつ電動化、コネクティビティに関して私はもう古い人間だ」「未来のモビリティはどうあるべきかという新しい章に入ってもらうためには、私自身が一歩引くことが今必要ではないか」(豊田氏)との判断に至ったという。
●佐藤氏はどんな人物か
そんな豊田氏の後を継ぐ佐藤氏だが、選任には4つの理由があるという。1つ目は「トヨタの思想、技、所作を身に着けようと現場で必死に努力してきた人物。トヨタのトップはその体現者であって欲しい」というもの。もう1つは「クルマが大好きだから」だと豊田氏は語る。
佐藤氏は、エンジニア畑出身で、カローラやプリウスの部品開発に携わったのち、2003年からレクサスを担当。「LEXUS LC」のチーフエンジニアなども務めた。「ドライバーを笑顔にするクルマを作るのが大好き」といい、マスタードライバーの豊田氏と向き合い続けてきた人物だ。「東京オートサロン2023」では、佐藤氏が最近勢いで「AE86」を購入し、そのことばかりFacebookに投稿していると豊田氏にバラされた一幕もあった。
これに加わるのが「若さ」と「チーム経営」だ。佐藤氏は53歳、豊田氏が2009年に社長に就任したときと同じ年齢で、「正解がわからない時代に変革を続けるにはトップが現場に立ち続ける必要がある。それには体力と気力と情熱が欠かせない」(豊田氏)という。また、佐藤氏のもとには優秀なチームが揃っており、「一人で経営しようとせず、チームで経営して欲しい。彼だけではなく、多様な個性を持った多くの仲間を13年間育ててきた。未来を創るイノベーションは、多様な個性が同じ目的に向かった時に生まれると思う」と持論を述べた。
佐藤氏率いる新チームのミッションは、豊田氏が成し遂げきれなかった、トヨタをモビリティカンパニーに“フルモデルチェンジ”させること。「ここまでは私の個人技で引っ張ってきたが、今後トヨタがさらに成長していくためには、私からちょっと離れたところでチームが適材適所で力を合わせてやっていくことにかけたい。若い新チームにぜひともご期待いただきたい」(豊田氏)と期待を寄せた。
交代後、豊田氏は佐藤氏を中心とした新チームのサポートに徹し、社内では取締役会の議長とマスタードライバーに注力。クルマがトヨタ、レクサスの味になっているかを今後もチェックするという。社外に対しては、トヨタだけではない自動車産業全体の支援に回る。
●なぜこのタイミングでの交代なのか
なお、佐藤氏によると社長の内示が言い渡されたのは、2022年末にタイで行われた耐久レースの現場。豊田氏から「ちょっとお願い聞いてくれる? 社長やってくれない?」と唐突なものだったという。両氏は、マスタードライバーとクルマ開発者として同乗したり、現場のメカエンジニアと一緒にいる場面が多く、社長室などではないレース現場での内示は、その延長線上だったと豊田氏は振り返る。
また、このタイミングで内示を出した件について豊田氏は、初代プリウスのチーフエンジニアであり、現会長の内山田竹志氏の退任意向と、13年かけて作り上げた「土台」も関係するという。
内山田氏は「今のチームはうまく行っているが、その状態で1年1年過ごしていって、この変革期に新しいモビリティー、カーボンニュートラルが実現できるのか。75歳という物理的年齢が見えてきたのが大きなきっかけの一つ」と語る。豊田氏は当初、会長就任に乗り気ではなかったようだが、話し合いの末、後任を申し出たという。内山田氏は「(豊田氏には)日本の産業界全体に大きく羽ばたいてもらいたい。そのためにはトヨタ自動車の会長という役割にふさわしいものがセットであるべき」と語った。
豊田氏は社長就任直後から、リーマンショック、赤字転落、米国でのリコール騒動、東日本大震災が次々に降り掛かった。この危機を乗り越えるべく、内山田氏とともに商品経営と地域を軸にした経営にシフト。TNGAプラットフォームの開発、カンパニー制の導入を実施し、それまでの画一的な「グローバルマスタープラン」ベースのクルマづくりから、各国の地域ごとに最適な車種を投入できるようにした。結果、社内体質の刷新とともにメンバーの意識も変わり、提案の軸にブレがなくなったという。こうした“メンバーづくり”に加え、トヨタの思想を明文化した指針を整備するなど、次世代にバトンを渡す土台をようやく築けたとしている。
ハイブリッドで電動化時代を切り開いたトヨタだが、EVに限っていえば諸外国から遅れを指摘されることも増えている。同社はハイブリッド、FCV、PHEVなどフルラインアップで各国のエネルギー需要に応えると宣言しているが、激動の自動車業界で10年後もトップランナーであり続けられるのか、佐藤氏を含む新チームの手腕が試される。