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囲碁AIブームに乗って、若手棋士の間で「AWS」が大流行 その理由とは?

ITmedia エンタープライズ のロゴ ITmedia エンタープライズ 2019/02/22 08:30
大橋拓文六段 © ITmedia エンタープライズ 大橋拓文六段

 ここ数年、将棋や囲碁といったボードゲームの世界では、AI(人工知能)の能力が人間を上回りつつある。特に、Alphabet傘下のDeepMindが開発した囲碁AI「AlphaGo」は、世界のトップ棋士を次々と破ったことで、昨今の人工知能ブームの“火付け役”となったのは記憶に新しい。

 最近では、プロ棋士たちも研究にAIを使い始めているが、その影響で、若い囲碁棋士たちの間で今「AWS(Amazon Web Services)」を利用する人が急速に増えているのだという。一体何が起きているのだろうか?

●「予想よりも“30年”早く、AIが人間を超えてしまった」

 この“AWSブーム”を仕掛けたのは大橋拓文六段。コンピュータ囲碁を活用した研究に熱心なことで知られ、囲碁AIの解説本『よくわかる囲碁AI大全』も出版している。大橋さんが囲碁AIに興味を持ったのは2010年ごろで、当時はAIがプロ棋士に勝つことなど想像できない状態だったという。

 「もともと、囲碁AIは老後の趣味にしようと思って研究を始めたんです。自分が引退するくらいの頃に人間を上回るだろうと。そしたら、想像よりも30年くらい早く人間を超えてしまいましたが……。その頃の囲碁AIは『モンテカルロ法』の適用によってブレークスルーが起きており、アマチュアの高段者くらいのレベルに達していました」

 モンテカルロ法とは、乱数を使って膨大な演算(試行)を重ね、その結果を基に確率などを算出する手法だ。囲碁の場合、この手法によって「この1手を打った場合の勝率」を計算できるようになった。当時からフランス、台湾、そして日本などに開発者が多く、電気通信大学では、ソフトウェア同士を戦わせる大会が開催されていた。

 大橋さんはそうした大会に顔を出して、AIの手に対する意見交換などを行うようになった。「モンテカルロの時代から、さまざまなことを教わりました」(大橋さん)。それから数年がたち、AIとの実験対局や解説などを任されるようになり、数多くの研究者と仲良くなったという。

 しかし、モンテカルロ法によるブレークスルーが起きたとはいえ、その後、AIの研究は行き詰まりを迎えてしまう。なかなかAIが強くならない状況に、「少しAIも小休止かな」と考えていた矢先、2015年末から囲碁AIを巡る状況は一変する。そう、AlphaGoの登場だ。

●「論文を見て、興奮して眠れなかった」 AlphaGoの衝撃

 AlphaGoが発表されてすぐに論文を見た大橋さんは「興奮して眠れなかった」という。同時にトッププロの棋士と対戦することも発表されていたが、大橋さんは「世界チャンピオンでも危ないかもしれない」と直感。その後、本当にAlphaGoは世界最強棋士の李世ドル(イ・セドル)九段を4勝1敗で、その1年後には柯潔(カ・ケツ)九段を破ることになる。

 それ以降、大学でもAlphaGoやディープラーニングの勉強会が激増。大橋さんも「人工知能学会」の学会誌をはじめとして、さまざまな寄稿や講演の依頼が舞い込んだ。「数式を見るとワクワクしてしまう」というほど、もともと数学が好きだったという大橋さんは、資料と格闘しながら、徐々にAIについて理解を深めていった。「講演や執筆の機会を頂いたことが、最高の学びの場だった」と話す。

 AIがトッププロに完勝して以降、棋士たちの間ではAIを活用した研究が徐々に広まっていった。今や囲碁のAIは「AlphaGo(現在はAlphaGo Zero)」以外にも、Facebookの「ELF Open Go」、中国Tencentの「絶芸」、ベルギーのOSSコミュニティーが開発した「LeelaZero」など10種類以上に及ぶ。最近では、LeelaZero用の囲碁GUIである「Lizzie」が登場したことで、AIによる打ち筋の検討や対局が容易に行えるようになったそうだ。

 Lizzieの登場に合わせ、囲碁AIを自宅に導入しようとした大橋さん。当初はグラフィックスカードを2枚使ったデスクトップPCを購入しようとしていたが、ここでアクシデント(?)が起こる。自宅で契約している電気のアンペア数が足りず、AIを使おうとすると停電してしまうことが分かったのだ。

 「当時は引っ越したばかりでしたし、大家さんのおばあちゃんに相談するのもためらってしまって……。一旦保留にしていたのですが、北京で行われたTencent主催の囲碁大会に行った時に、知り合いの囲碁AIの開発者からAWSを薦められたんです。初期投資がなくていいですし、グラフィックスカードの過熱の心配もないと(笑)。すぐに使ってみようと思いました」

 こうして大橋さんは2018年7月にAWSを導入。分からないことだらけだったが、東京・目黒にあるAWS開発者向けのスペース「AWS Loft Tokyo」に足しげく通い、ASKコーナーで質問を繰り返した。さまざまな開発者と話し合い、Amazon囲碁部ともつながり、スポットインスタンス(※)担当だった部長のアドバイスを得て、利用額も大幅に抑えられた。現在は「月に数千円から1万円程度かかっている」(大橋さん)という。

※Amazon EC2の機能。AWSサーバ上で使われていない(余っている)EC2インスタンスに対し、入札制で一時利用を行う。自らの提示額よりも高い価格で入札されると、すぐに利用を止められるリスクもあるが、一般的な「オンデマンド」制に比べて平均で7~9割引きになるとしている

●AI「研究会」を発足、若手棋士が次々とAWSのインスタンスを立てるように

 AWS活用が軌道に乗ってきた大橋さんは、次に「研究会」を始めようと考えた。ノートPC1台とネットワークさえあれば、どこでもAIを使った検討が行える。その利点を生かし、日本棋院の本院(東京・市ヶ谷)で定期的にAIを活用した研究会「プロジェクトAI」を始めた。現在は10代から30代の若手棋士を中心に、メンバーは25人にまで増えたそうだ。

 「高性能のAIさえあれば1人で研究ができてしまうので、実は中国や韓国では今、囲碁棋士の『引きこもり』が問題になっているというウワサも聞きました。しかし、AIが打つ手は自分一人では理解できないことも多い。だからこそ、棋士のみんなで協力して研究できる場があればいいなと考えました。人間を超えたとはいえ、AIが苦手とする局面もまだまだあるのが実情です。そういう部分に関しては、人間と力を合わせて探索を行う必要があるでしょう」

 知り合いの開発者の協力も得て、数々の囲碁AIをほとんど使えるようになった。大橋さんが囲碁AIを最新版にアップデートすると「Amazon マシンイメージ(AMI、インスタンスのソフトウェア設定)」として共有するシステムで、LINEを使って研究会のメンバーに配布している。囲碁AIを動かす際はAmazon EC2上で、GPUを利用するP2/P3インスタンスを利用するという。

 「P3はP2よりも約3倍高いですが、同じ時間内に探索できる手の数が5倍以上あるので、コストパフォーマンスが高いP3を使う人が増えてきていますね。もっと速くて安いインスタンスが出るのをみんな楽しみにしています」(大橋さん)

 研究会のメンバーは囲碁のプロだが、当然ながらAWSについては全員「素人」だ。しかし、大橋さんをはじめとして、AWSのシステムに興味を持ったメンバーが皆に初期設定し、教えて回ったほか、AWSの使い方をまとめたマニュアルを作る棋士まで現れ、今ではメンバー全員が自力でAWSのインスタンスを立ち上げられるまでになったそうだ。

 「研究会の中には70代の人もいますが、全員がインスタンスを立ち上げられるようになりました。これは囲碁への知的欲求が原動力になっています。さらにAWSそのものに興味を持つ人が出てきて、さまざまな設定をいじるだけではなく、最近ではパフォーマンスの比較までしてくれます。メンバーの中には、AWS以外にGCP(Google Cloud Platform)を使っている人もいます。TPUで開発された囲碁AIも登場し始めているので、僕自身GCPにもとても興味があります」(大橋さん)

 研究会のメンバーには棋士兼学生も少なくない。勉強会に参加しているメンバーであり、ポスト井山五冠を期待される一力遼八段に話を聞いたところ、「研究に使うツールが1つ増えたというイメージ」とこともなげに話してくれた。彼らにとってAIは、もはや特別な存在ではないのだろう。「特に若い子たちは、AIによって囲碁に対する考え方や会話が変わってきている」と大橋さんは話す。

●AIで変わる囲碁の文化 これからは「人機一体」の時代

 「この手は青い」「いや、緑はどうかな?」「こうなるともう『じんましん』だよね」

 最近、AIで研究をしている若手棋士の間では、こんな会話をするのが普通になってきているそうだ。「青」というのは、Lizzie上で示される「AIの第一候補手(最善手)」のこと。その部分が青く光ることからそう呼ばれている。緑は同じように第二候補を指す。

 「じんましん」というのは、有力な候補手がなく、AIが全探索モードに入った際、碁盤上の目全てに確率などの数値が表示される状態だ。ソフトウェアの挙動(や仕様)に合わせて、会話で使われる言葉が変わっていくというのは、非常に興味深い。

 「形勢判断の考え方も変わってきています。囲碁は白黒の碁石によって、囲った陣地の広さを競うゲームです。そのため、これまで形勢判断は、陣地の広さを示す『目』の数で議論するのが一般的でした。

 しかし、今はAIによって『この手を打った場合の勝率』が表示されるようになっています。そのため、形勢判断も『何目』から『何%』というように、考え方が変わりつつあるのです。こうした概念の変化を抵抗なく受け入れられている人が、AIをうまく活用できている印象がありますね」(大橋さん)

 「これからはAIに対抗するのではなく、AIを上手に乗りこなす『人機一体』の時代」と話す大橋さん。将棋の世界でも、AIが普及したことで新たなタイトル戦「叡王戦」が生まれた(ドワンゴ主催、現在はコンピュータ将棋ソフトウェアとの対局は廃止されている)ように、人間とAIが共闘する大会やタイトル戦が出てきてほしい、と考えている。

 「今後はAIを絡めた形で、クラウドやGPUのベンダーが主催するような大会が生まれることを目指していきたいですね。AIの普及で囲碁における定石も変わり続けており、自分が3年前にどんな囲碁を打っていたのか、もう思い出せないほどです。

 今はAIが打った手を判断するのには、プロのスキルが必要ですが、今後はその“理解の間”も埋まっていき、アマチュアも含めてもっと裾野が広がっていくでしょう。研究会では、みんなで試行錯誤しながら『人間の新しい役割』を模索しています。そういう意味でも、人間とAIが協力して戦う大会は、一つの可能性になるのではないでしょうか」(大橋さん)

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