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文科省と統一教会の「関係」はなぜ生まれたか? その「隠された歴史」をさかのぼる

現代ビジネス のロゴ 現代ビジネス 2022/11/06 06:00 川邊 克朗

【前編】「統一教会の関係が「自民党」だけでなく「野党」にも及んでいた、そのメカニズムを解き明かす」では、旧統一教会の問題が、与党のみならず、野党とも深く関わる問題となったメカニズムを追った。以下では、「教会の改名」に不明朗な経緯があった問題について見ていこう。

異例の経過

2012年12月に発足した第2次安倍内閣で、同じ清和会に属する下村博文氏が文科相に就任した。2015年6月に宗教法人法を所管する文化庁(文科省の下部組織)が、統一教会の名称変更申請を受理し、8月には認証、そして10月には下村氏が文科相を退任する。

2015年といえば、自衛隊の海外での武力行使を容認する「安全保障法制論議」に国会の内外の目が奪われていた時期で、9月19日、安倍首相は安保関連法を成立させている。

〔PHOTO〕Gettyimages © 現代ビジネス 〔PHOTO〕Gettyimages

この「段取りの良さ」に、安倍銃撃事件後、教会関連団体から寄付を受けていたなど下村氏側と教会との結びつきが次々と明らかになると、教会改名への政治介入の有無が大きくクローズアップされた。

私の古巣・TBSからも問い合わせがあったが、教団改名を知らなかったのには、いささか驚いた。

しかも文科事務次官だった前川喜平氏が、宗務課長時代の1997年に、霊感商法等への批判をかわすための申請は認められないと拒否していたことを証言すると、下村氏周辺がにわかに騒がしくなり、下村氏は自身の関与を否定しつつも、名称変更を認める前と後の2回、事務当局から報告を受けたことを認めている(7月21日)。これだけでも異例の経過を辿っている。

議員の「腕力」を頼む文科省

文科省は、膨大な行政裁量権を有し、天下り先も潤沢だが、霞が関では「三流官庁」と自他ともに認めるほど自虐的で、その分、族議員の「腕力」頼みで、かろうじて中央官庁としての体裁を繕ってきた。

たとえば2017年、やはり前川元事務次官が「行政が歪められた」と批判した件を思い出そう。文科省が国家戦略特区に大学の獣医学部新設に消極的だった加計学園問題に絡み、「官邸の最高幹部が言っている」「総理のご意向」などと明記された文科省の内部文書が政治問題化し、結局、安倍首相官邸の圧力で内部文書自体存在しなかったことにされ、一連の「騒動」の責任を問われた当時の松野博一文科相が詰め腹を切らされている。

この内部文書の発言の「主」であり、加計問題で官邸と文科省のメッセンジャー役を担っていたのが、下村氏と共に、新文教族として台頭し始めた当時の萩生田光一内閣官房副長官である。

私が旧文部省を担当した1980年代半ばは、「戦後教育の総決算」を謳う中曽根康弘首相の学者ブレーンと、森喜朗前文相(当時)ら文教族・文部官僚・日教組の3者がスクラムを組む「守旧派」が連日暗闘を演じていた。

「教育再生」を掲げる第2次安倍内閣時においては、1980年代とは打って変わって、文科省に「政治主導」に連なる、参与や大臣補佐官などのポストが創設され、「萩生田的なるもの」が省内を跋扈するようになったと聞いた。教会改名の政策変更過程を解く鍵もこうしたところにあるのかもしれない。

そして2019年に萩生田文科相が誕生し、新文教族のドンの地位を築いていくことになった。なお、萩生田氏は2009年に一度落選している。落選中の教団への日参と選挙支援で国会議員に返り咲き、その代償として今、「教会の番犬」と名指されている…とそんな揶揄をされながらも、自民党政調会長として教会の解散について「請求はできるが、解散命令は難しい」と言っている。

疑惑の「政と官」を解明する、もう一つの補助線が「原理運動」世代である。

原理運動は1960年代後半、全共闘運動に対抗する形で、各大学キャンパスで勢力を拡大させた。統一教会の布教のみならず、反共活動から資金集めにまで担ったため、学業放棄や家出といった家庭でのトラブルが続出、「親泣かせの原理運動」として社会問題化し、風当たりが強くなると運動は一端沈静化する。

しかし、1980年代に入ると、一連の「歴史教科書問題」や国際勝共連合のスパイ防止法制定促進運動の展開で、大学での原理運動が再活性化し、現在に至る。この間、東大、京大などのトップエリート校からメンバーがリクルートされ、官界、法曹界、学界に「細胞」として送り込まれていたという。

その「送り込み先」の一つが法務省だったようだ。これは、「政教一致」を志向する創価学会が、検事・弁護士や外務官僚ら中央官庁のキャリア組から国会議員を擁立し、警察、自治体などの地方公務員にも学会員が進出する手法と同じである。

行政の「不作為」

次に、被害者救済という視点から見れば、今回、銃撃事件の容疑者と同じように、親の宗教の影響で経済的貧困や家庭崩壊などの悩みを抱える「宗教2世、3世」らを含め、放置された「空白の30年」の間も被害者支援から旧統一教会追及まで、最前線に立たってこられた弁護士、フリージャーナリストらの格闘に比べて、行政の「不作為」は犯罪的行為とも言える。

岸田文雄政権は、事ここに至っても、河野太郎消費者担当相はその問題の「想定内」でしか語らず、元警察官僚の葉梨康弘法相までもが被害把握と法律相談の続行を繰り返すのみで、脅威への状況認識すら持ち合わせていない。

しかも宗教法人法を所管する文化庁は、野党相手に「教団は解散命令の対象に当たらない」と平然と言ってのけた(9月12日)。1995年、地下鉄サリン事件を引き起こした「オウム真理教」を政治主導で、「治安」ではなく「公共の福祉」という名目によって解散にまで追い込み、特別立法で被害者への賠償にも道を開いたが、文科官僚たちは宗教法人法の改正に知恵を絞ることなく、惰眠を貪っていたようだ。

現在開会中の国会審議でダッチロールを繰り返していた岸田首相も、さすがに内閣支持率の急落と閣僚、副大臣らの教会汚染の直撃に抗し得ず、教会解散命令に向けた行政手続きの準備に舵を切らざる得なくなったようである。

しかしそれは、問題解決に向けた入り口に立ったに過ぎず、仮に教会を解散したからと言って、宗教団体としての統一教会は残るわけである。河野大臣が所管する消費法をはじめとする現行法の適正な運用することが、何よりも問題解決の近道である。

司法と統一教会

選挙で教団に首根っこを掴まれた国会議員が烏合の衆へと堕落した「立法」、前例踏襲主義の守旧派の「行政」、さすれば、残る三権のひとつ、正義の敢行と社会秩序の維持を旨とする「司法」、とりわけ捜査権力はどうだったのだろうか。

文化庁は、宗教法人の解散命令を請求するための構成要件として、「教団役員らが刑法などに反して刑罰を受け、著しく公共の福祉を害した場合」を挙げているが、先のオウム真理教事件を挙げるまでもなく、明覚寺グループ霊視商法詐欺事件(1995年)、法の華三法行詐欺事件(2000年)と、宗教法人を隠れ蓑にした宗教ビジネスが詐欺行為と断罪され、裁判所から教団の解散を命じられている。

そして統一教会についても、2007年の秋に霊感商法への捜査包囲網が敷かれ、沖縄、長野、埼玉、大阪、新潟、福岡で教団信者が五月雨式に逮捕された。

さらに、警察庁長官が刑事警察主流派の吉村博人氏から公安警察主流派の安藤隆春氏に引き継がれると、2009年6月には、警視庁公安部が、統一教会の信者らが販売員となって印鑑等を違法に売り付けていた印鑑販売会社『新世』を特定商取引違反で強制捜査に踏み切り、同社社長ら7人を逮捕、同年11月には、東京地裁が同社社長に懲役2年の執行猶予付の有罪判決を言い渡している。

しかも判決文のなかで、「霊感商法への教団の関与」を厳しく断罪した。社長側が控訴しなかったため、刑は確定した。当然、文化庁が言う「教団解散請求の条件」を満たすことになり、「統一教会問題」は、捜査権力から文化庁へと、つまり「行政」に移り、一つの区切りを迎えたはずであった。

惜しむらくは、この年(2009年)8月の総選挙で、自民党の麻生太郎内閣が敗北、9月に民主党の鳩山由紀夫内閣が発足したが、政権交代による「不連続」が、まずい具合に働いてしまった。「統一教会解体」は頓挫。逆に、民主党への「接触」攻勢による教団の巻き返しは先に見た通りである。

警察の覚悟不足

また統一教会捜査を巡っては、この間、政治の「宗教への介入」の是非論から、民事不介入という捜査当局の原則論や、捜査自体「『政治の圧力』で断念した」といった発言まで、様々な言い訳を私も仄聞したが、事件取材を長年続けてきた経験則からすれば、公安・外事事件や政界絡みの汚職事件等の場合、得てして捜査指揮を執るリーダーの覚悟と力量次第だった。

そして安倍銃撃事件で、捜査当局の「治安感覚」と「捜査センス」の、現在地がはっきり見えた。

容疑者の元自衛官は、逮捕直後から「統一教会への憎しみ」を犯行の動機に挙げていたが、警察官僚たちは、安倍警護の、一目瞭然の「大失態」の衝撃の大きさに、早々に事件の検証と「要人警護」の見直しを打ち出し、「自己防衛」を図った。そして岸田首相官邸の顔色をうかがいながら、教会捜査より「安倍国葬」、弔問外交の大警備を優先させた。 

警察当局は、教会捜査は政治に潰されてきたと、うそぶいてきたようだ。霊感商法、原理運動、合同結婚式などに特化した、“いっとき”の教会報道に盛り上がる「空白以前の世論」とは異なり、宗教法人としての統一教会そのものへの疑念を強くした「空白後の世論」を味方にすれば、銃撃捜査と並行に、教団への新たな事件捜査に動き出しても何ら不思議ではなかった。

逮捕状ひとつ用意できていなかったということなのだろう。

空虚な「統一教会報道疲れ」

事件発生から2ヵ月にならんとする8月27日、ネット上に、「岸田首相、旧統一教会への強制捜査で警察の背中押して」と題するコラム(土屋直也『NewsSocra』)が登場した。もちろん、政治による恣意的な捜査権力の行使は、これはこれで空恐ろしいものがあるが、政治への諦念と空虚な「統一教会報道疲れ」が日本社会を覆い始め、その閉塞感からすれば、こうしたコラムの登場も、ひとつの「世間の空気」だとも言えよう。

オウム事件のときもそうだったが、海外でも2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件の際には、「市民社会への脅威」に公権力が上からの秩序を供給し、「緊急避難論」が市民権を得て、なりふりかまわぬ国家権力が発動され、その凄みを見せた。しかし今回は、その気構えすら感じられない。

第2次安倍政権は、人事権を盾に各省庁を首相官邸の下にひれ伏させ、日本の官僚機構を空洞化させたうえ、「官邸官僚」や「忖度官僚」と呼ばれる、官邸に従順なキャリア官僚を重宝した。

警察官僚もその例外ではなかった。とりわけ、警察庁出身の杉田和博元警備局長が官僚組織を束ねる内閣官房副長官に就いたことで、北村滋内閣情報官(のちに国家安全保障局長に横滑り)、大石吉彦首相秘書官、菅義偉官房長官の秘書官・中村格など各氏らが「官邸ポリス」という権力を創出し、日本の捜査権力への影響力を強めてきた。

このため、国士型、直言型は敬遠され、しかも情実人事が繰り返されたことで、治安感覚は摩耗し、捜査センスもスキルも鍛錬する余裕もなくなり、「牙」は完全に抜かれてしまったように見える。

くしくも、安倍銃撃事件発生時、警察庁・警視庁という日本警察の両トップがそれぞれ、中村、大石という安倍官邸の秘書官グループだったことは、皮肉なめぐりあわせである。が、両氏が引責辞職し、「警察刷新」されても、統一教会へのアクションがいまもって見られないことは、捜査権力もまた行政同様、「不作為」という問題を抱えている、という誹りは免れえない。

宗教法人の「表と裏」

もっとも、これは、あくまでも反共主義という政治イデオロギーを原点にしながら、宗教ビジネスに宗旨替えした統一教会の「表の世界」の話でしかすぎない。治安当局が「特異な集団」と名づけた、その先にある「裏の世界」は、一向に可視化されないでいる。

1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件に始まる一連の「赤報隊事件」の捜査対象に、統一教会関係者が数名上がったことがある。事件はすでに時効となったが、朝日新聞でこの事件の取材班のメンバーを務めた人物が、近著(樋田毅『記者襲撃』)のなかで、元信者の証言として、教団の関連団体には秘密の軍事組織があり、武闘訓練もしていたと、宗教組織の裏側をうがってみせた。

あまたある宗教法人・団体の中で、治安当局が「表か裏か」を選別する基準は、その組織が暴力装置を持つか、持たないかなどにあるようだ。具体的には、(1)先の赤報隊事件を巡る軍事組織(銃、盗聴・尾行等の諜報活動)、(2)非公然の司法セクションやマスコミ・世論対策のオペレーショングループ(例えば、スラップ訴訟)が想定される。

いずれも、目的は、組織の理念を実現するため、あるいは、外部からの攻撃に対抗する「組織防衛」のために用いられるのだろうが、今回も旧統一教会が、早々とテレビ番組での出演者の発言で名誉が傷つけられたとして、出演した弁護士のみならず、読売テレビ、TBSの放送局を相手取って、賠償と謝罪放送を求める「スラップ訴訟」を起こした。これも合法的な「威嚇と牽制」という「暴力」による、れっきとした「言論封じ」である。

また朝日新聞が10月20日付け朝刊の1面トップで「旧統一教会側、自民党議員に『政策協定』 選挙支援見返りに署名求める」と報じた。“スクープ”かと思いきや、その後これといった続報もなく、逆に政権内から署名した政務三役らが平然と名乗り出るなど、不可解な点が多く、解散請求に前のめりになり始めた岸田首相を揺さぶる、情報戦の一つと官邸側も警戒感を強めている。

その脈絡で言えば、創価学会が、政界進出から勢力拡大への移行期に相次いで引き起こした、「言論出版妨害事件」(1969年)、「日本共産党・宮本顕治委員長宅電話盗聴事件」(1970年)も、「統一教会問題」の前史と言えるかもしれない。

また統一教会と公安警察との攻防については、本サイトですでに詳述した(7月29日)が、一つ付け加えるとすれば、教会信者、関係者らと自衛隊との接点が、公安当局によって何度も確認されてきたことである。自衛隊は警察組織と同じ、武力集団であり、公安警察も思想集団や宗教団体と自衛隊員との関わりを厳しくチェックしてきた。

オウム事件でも、マインドコントロールによって自衛官の取り込み工作が行われたが、このときは自衛隊側の刑事責任は不問に付された。それだけに、軍事組織を持つといわれる統一教会が、宗教組織の枠内に収まるのか、見極めるのにはまだ時間を要するようだ。「反社会的」と名指しされながらも、政治を“安全弁”にして「表社会」と棲み分けてきた暴力団組織が生きながらえる「裏社会」とは、捜査権力からしても、どうやら勝手が違うようだ。

最後に、被害者救済や解散請求といった行政の「不作為」は、先述したコラムではないが、「岸田首相、各省庁の背中を押して」に尽きるのだろう。ただ、統一教会問題の「空白の30年」が、衰退期に入った日本の「失われた30年」と時代的に重なっていることを考え合わせると、若干不安を覚えるのは私だけだろうか。

「被害救済の法整備」に絡み、自民、公明、立憲、維新4党が共産、国民、少数野党を蚊帳の外に置いた「談合政治」の復活で、「統一会問題」は玉虫色の“決着”で終わりそうなのが気がかりである。だからこそ、政界の「教会除染」は、私たち有権者の「覚悟と行動」が問われることになる。

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