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6年ぶりに登場の金正恩の叔母、その影武者説を追う

JBpress のロゴ JBpress 2020/02/07 06:00 朴 承珉
2013年7月、朝鮮人民軍戦没者墓地の開所式に出席した時の金正恩委員長(右端)と金敬姫氏(左端)(写真:ロイター/アフロ) © JBpress 提供 2013年7月、朝鮮人民軍戦没者墓地の開所式に出席した時の金正恩委員長(右端)と金敬姫氏(左端)(写真:ロイター/アフロ)

(朴 承珉:在ソウルジャーナリスト)

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長の叔母であり、故・張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長の夫人・金敬姫(キム・ギョンヒ)元党政治局委員兼書記が公の場に登場した。約6年ぶりだ。

 だが北朝鮮の高位脱北者らは、この人物は金敬姫本人ではなく「代役、つまり『影武者』だ」と主張する。

 確かに、北朝鮮では過去に、金日成(キム・イルソン)主席の影武者が3人、金正日(キム・ジョンイル)総書記の影武者も存在したとされている。金日成主席の影武者は若い時代と1960年代、そしてその後の時代の影武者がいたと言われる。

 だが、金日成の娘であり、金正日の実妹である金敬姫氏の影武者説は筆者も初耳だった。

「影武者説」を確信する高位脱北者

 北朝鮮のメディアは1月25日、平壌の三池淵劇場での旧正月記念公演において、金委員長と李雪主(リ・ソルジュ)夫人、金委員長の妹である金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長とともに、金敬姫元書記が観覧する姿を伝えた。

NKTVが入手した三池淵劇場での記念公演の映像。金正恩委員長とその妻・李雪主氏と並んで座る金敬姫氏(ユーチューブチャンネルNKTVより) © JBpress 提供 NKTVが入手した三池淵劇場での記念公演の映像。金正恩委員長とその妻・李雪主氏と並んで座る金敬姫氏(ユーチューブチャンネルNKTVより)

 これが衝撃を持って伝えられたのは、金敬姫氏は、夫で北朝鮮のナンバー2とされた張成沢氏が2013年12月に処刑された後に、死亡したとされていたからだ。死んだはずの金敬姫氏が存命だったということは、北朝鮮の権力構造や行動原理を探るうえで、極めて大きなニュースだった。

 ところが、「金敬姫氏健在」の一報が世界を駆け巡った直後、ある元北朝鮮の高官は、「金敬姫はすでに毒殺されており、三池淵劇場に現れた人物は、金敬姫の代役だ」と語った。その証言の主は、朝鮮労働党中央委員会(党本部)で数十年間勤務し、金一族の資金管理を担当する労働党39号室の課長や、外貨稼ぎのための会社「大興総会社」大連支社長などを歴任した李正浩(イ・ジョンホ)氏だ。韓国には2014年に亡命している。

 李正浩氏は、金正日総書記と金正恩委員長から「共和国の英雄称号」を2度も受けた人物だったが、韓国に亡命した後、現在はアメリカに居住している。

 その李氏が、ユーチューブチャンネル「NKTV」でのインタビューで、金敬姫元書記は2014年にすでに死んだ、と改めて証言したのだ。さらに李氏は、ユーチューブ「康明道TV」にも登場し、ここでも同様の証言をした。やはり脱北者である康明道(カン・ミョンド)教授は、北朝鮮の姜成山(カン・ソンサン)元首相の娘婿であり、かつては北朝鮮のエリート一族の一員だった人物だ。

 以下で、李氏らが北朝鮮で直接聞いて経験した証言を中心に、金敬姫氏の死とその死に至るまでの経緯についてまとめてみよう。

金正恩が語ったとされる「金敬姫の死」

「金正恩が金敬姫を殺害し、金敬姫の側近をすべて処刑した。私はそのことに衝撃を受け、亡命を決意した。当時、平壌では、幹部の間でこのこと(金敬姫氏殺害)は秘密でもなかった。中央機関と党本部に話が伝わっていた」(李氏)

 李氏の証言は続く。

「金氏が殺害された日時は2014年5月5日だ。この日は、国家安全保衛部(現在は、国家安全保衛省。以下、保衛部)の大会があった。張成沢氏を処刑した後、保衛部を激励するための大会だ。

 そこに金正恩も出席する予定だったが、姿を現さなかった。地方保衛部からも部員がやってきていたし、幹部全員が参加して金委員長と記念撮影することになっていたのでみな浮かれていたのだが、金委員長は来なかった。

 そのため、金元弘(キム・ウォンホン)部長が機転を利かせ、集まった要員たちに金委員長に宛てて『忠誠の手紙』を書かせた。4.25文化会館で集まった保衛部要員の3000人全員が忠誠の手紙を書いた。

 それで仕方なく金委員長は金元弘部長に返事をした。そこで金委員長は、『金敬姫書記が死んだので自分は大会に出場できないのだ』と言った。それを聞いた金元弘部長が金委員長の『お答え』を保衛部幹部と局長級に伝えたのだ」

 李氏は後日、その話の内容を保衛部幹部の友人から聞いた。また974部隊(金正恩委員長の護衛部隊)の大佐の友人にも確認したという。

 韓国の一部のメディアは、「2013年12月、張成沢氏が処刑された当時、張氏と金敬姫氏は離婚していたので、夫人の金氏が夫・張氏の処刑を了承した」と報道していた。だが実際には、張氏夫妻は離婚していなかったし、金氏は夫・張氏の処刑の動きに強く反発していた。夫の処刑を了解したという当時の報道は、北朝鮮当局が流したフェイクニュースだった可能性が高い。

記録映画や出版物から消された金敬姫の痕跡

 では、金氏はなぜ毒殺されなければなかったのか。それにはこうした経緯があるという。

 保衛部などが張成沢氏を逮捕しようとしたが、金敬姫氏と一緒に住んでいる自宅での逮捕が容易ではなかった。このような空気を掴んだ金敬姫氏が、当時の実力者のチョ・ヨンジュン労働党組織指導部第1副部長とキム・チャンソン書記室長(金正恩委員長の秘書室長)に対して、夫・張氏を害しないようにと注意をした。この幹部らが金敬姫氏の意見を報告すると、金正恩委員長は「組職指導部が『張り子の虎』だな」と言った。それは、組職指導部が、張氏が恐ろしくて処理できずにいるという皮肉とともに、張氏の排除を命令する言葉だった。

 金敬姫氏は、張氏の処刑後に、平壌から遠くない招待所で監禁状態におかれ、治療を受けていた。このとき、夫・張氏を無慈悲に処刑したことへの不満から、金正恩委員長に対する悪口を言い続けていたという。これを聞いた最高指導部からの指示が下された。「これは金正恩委員長の権威を傷つける行為だ」との判断で、金敬姫氏は薬物注射で毒殺させられた。

 その後、北朝鮮指導部から労働党の担当部署に、金敬姫氏に関するすべての記録を削除するよう指示され、記録映画、出版物などにある金氏に関するすべてが削除された。このような措置は、これまで反党・反革命分子へなされてきたものと同じであった。

 だからこそ李氏は、1月25日の三池淵劇場での記念公演に出ている金敬姫氏を見て、「金敬姫は偽物だ。死んだ人は絶対戻って来られない」と言ったのだ。2015年5月、李氏は、米CNNとのインタビューで、金敬姫氏が毒殺されたという事実を証言している。その確信は現在も揺らいでいないようだ。

冷血漢のイメージ返上したい金正恩

「金敬姫氏殺害」の証言は、別の人物からも出ている。

 最近、保衛部の局長が第三国に亡命をしたが、その局長が当時、金元弘元保衛部長から金敬姫氏が毒殺されたことについて外部へ噂が広がるのを防ぎ、一切秘密に付するようとの指示を受けたというのだ。ところが皮肉にも、金元弘元部長は粛清され、現在、家族とともに終身政治犯収容所(耀徳強制収容所)に収容されているようだ。

 では、北朝鮮の指導部は、死んだはずの「金敬姫」をなぜ今になって表舞台に引っ張り出したのだろうか。

NKTVが入手した三池淵劇場での記念公演の映像。金正恩氏(右)の夫人である李雪主氏の後ろにのぞく金敬姫氏の姿(ユーチューブチャンネルNKTVより) © JBpress 提供 NKTVが入手した三池淵劇場での記念公演の映像。金正恩氏(右)の夫人である李雪主氏の後ろにのぞく金敬姫氏の姿(ユーチューブチャンネルNKTVより)

 いま北朝鮮は、国連と米国の制裁で経済的に相当な苦境に立たされている。そこで国民の不満を鎮めるため、「白頭血統」(金正日総書記が白頭山で生まれたとのことから、金一族の血の本筋)の結束を示す必要から、金敬姫氏を登場させたのだ、との解釈もなされている。

 だが、前述の康明道氏はそれとは別の見方を示す。北朝鮮高官らが話している内容として、「金敬姫がまだ健在であることを北朝鮮国民に見せた後、『病死した』と発表し、国葬を行うためのトリックではないか。おそらくまもなくその(虚偽の)葬儀があるだろう」という予想を紹介した。つまり、金氏の毒殺説を覆すためのニセモノの葬儀を近く実施するだろうが、そのための準備過程の一部だろうというのだ。

 というのも康明道氏によれば、金正恩委員長は叔父や叔母を殺した冷血漢のイメージを返上したがっているというのだ。

「叔父を高射砲で処刑し、叔母を毒殺したという破倫児(=人倫に外れた人)の印象から脱するために、金敬姫の影武者を立てたのかもしれない。だが今回の件は、むしろ破倫児のイメージを国民に思い起こさせることになるかもしれない」(康明道氏)

 さらに康氏は、今回の「金敬姫氏登場」の不自然な点をいくつか指摘している。

「今回登場した金敬姫氏が本物なら、北朝鮮指導部は金敬姫氏をなんらかの地位に任命したはずだが、北朝鮮メディアは“元秘書”と紹介した。これもおかしな点だ」

 金日成主席と金正淑(キム・ジョンスク)夫人らとパルチザン活動を一緒にした黄順姫氏(ファン・スンヒ=北朝鮮の女性抗日運動家、朝鮮革命博物館館長)は最近、100歳で死亡したが、肩書を死亡するまでそのまま持っていた。もし金敬姫氏が本当に生存しているなら、旧正月の記念公演で紹介する時、現在の肩書で紹介されるはずなのだが、実際には現職の肩書なしで、「金敬姫元秘書」と呼んだ。これはあり得ないことだ、というのだ。

 また健康状態も、以前の金敬姫氏を知る人からすれば、首を傾げたくなるようなものだった。

 金敬姫氏はだいぶ前からアルコール中毒で、同時に心筋梗塞や糖尿病などさまざまな病気も患っていたので、“総合病棟”と呼ばれていた。約6年前に金敬姫氏が姿を消す直前には、顔もだいぶ痩せ、一目で病状が重いことが分かるほどだった。しかも移動には車椅子を使わなければならなかったのだ。

 ところが約6年後に現れた金敬姫氏は、顔色も良く、顔に肉も付き、いかにも健康そうだった。金敬姫氏は1946年生まれだから今年で74歳になる。果たして、本当にあそこまで健康状態が回復されたのか疑問だ。

 金敬姫氏は、金正日総書記時代に、兄・金総書記が主催する「喜ばせ組」(喜び組)の宴会にほぼ毎回欠かさず参加していたが、酒好きの金敬姫氏の酒量は相当なものだという。この事実は金正男(キム・ジョンナム)氏の母親・成恵琳(ソン・ヘリム)氏の姉・成恵琅(ソン・ヘラン)氏の息子である李韓永(本名、イ・イルナム、1982年に韓国に亡命)氏の本で証言している。彼女がアル中だったというのは確かなようだ。

 三池淵劇場で不自然な点はまだある。李雪主夫人が金与正氏とは互いに目を合わせ笑いながらも、二人の間に座っていた淑母の金氏には目もくれなかったのだ。金敬姫氏が本物なら、これはいかにも不自然ではないか。

 さらに不自然なのは、金敬姫氏とされる人物が、金委員長と李雪主夫人などと一緒に公演会場に入場するとき、カメラが回っているのに気が付いて、李雪主夫人の後ろに身を隠すようにしたことだ。その様子は、ユーチューブチャンネルNKTVが入手した動画に収められている。本物の金敬姫氏ならカメラから身を隠したりする必要はないだろう。

「影武者」登場は大粛清の前触れなのか

 今回の金氏の登場にもっとも驚いているのは、実は北朝鮮幹部らだろう。記録映画などですでに彼女の痕跡は消されているので、処罰されたことは明白だし、労働党幹部ならば、金氏が「毒殺された」ことは皆知っていることだからだ。

 最近、北朝鮮当局は経済事情の悪化で、朝鮮労働党中央委員会(党本部)幹部たちと内閣の幹部たちへの月給と配給を負担する余力がないためか、人員を3分の2に縮小し、3分の1の人員を地方に降格しているという。言ってみれば「地方で自分の力で暮らせよ」ということだ。

 そうした中での、“ニセ金敬姫”の登場だ。北朝鮮幹部たちは、じっと息をひそめだしたという。またもや粛清の血しぶきが飛ぶのではないか、という恐怖に震えているのだ。

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