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「本当の“怪物”は桑田なのでは?」PL学園・同級生が見たKKドラフトの真相。清原にはなかった圧倒的な才能「こいつ、オレたちと同じ人間なんか…」

Number Web のロゴ Number Web 2022/08/06 11:25 鈴木忠平
1985年のドラフトを経て、PL学園の卒業式で2ショットの清原和博と桑田真澄 © Number Web 提供 1985年のドラフトを経て、PL学園の卒業式で2ショットの清原和博と桑田真澄

 1985年11月20日のドラフト当日。その年の甲子園で劇的な優勝を果たしたPL学園のチームメイトは清原和博と桑田真澄のすべてを見守っていた。「巨人の1位は桑田さんですよ!」「清原はどうなった?」――誰も予想し得なかった当時の真実に迫る。

   ベストセラー『嫌われた監督』で大宅賞、講談社ノンフィクション賞、ミズノスポーツライター賞の3冠受賞を果たした作家・鈴木忠平氏の待望の新刊『虚空の人 清原和博を巡る旅』より一部抜粋してお届けします。(全3回の3回目/#1、#2から読む)

 3時間目の授業は社会科だった。本間俊匠は教室の一番後ろの席にいた。そこから教壇の向こうの壁にある掛け時計を見ていた。いつもなら遅々として進まない重たい時計の針が幾分、軽やかに時を刻んでいるように見えた。

 そろそろだな。

 プロ野球ドラフト会議が始まる時刻が迫っていた。

 本間はクラスを見渡した。3年間、変わり映えのしない顔ぶれだ。何もかもが見慣れた景色のはずだったが、この日ばかりはかつてない空気が漂っていた。その証拠に二つ前の席にいる清原が授業中にもかかわらず起きていた。いつもなら、まるで体力は野球のみに使うと宣言するかのように、机の上に堂々とタオルを広げて眠りこけている四番バッターが、落ち着かない様子で時計を見上げている。彼の表情はどこか不安げだった。

 清原には体格に似合わず繊細な一面があった。まだ入学したてのころ、頻繁に岸和田の母親に宛てて手紙を書いていた。返信封筒に好きな女の子の写真を入れてもらって、それをよく眺めていた。ひとり屋上に上がり、思い詰めたような顔で夜空を見上げていることもあった。本間はその様子を見て彼がホームシックになっているのだと分かった。1年生の雑務は夜になっても終わらず、深夜の洗濯場で本間はよく清原と一緒になった。そんなときポケットに忍ばせていた菓子の包みを取り出して、それを半分に割った。音を立てないように2人で食べた。そういうときの清原は思う存分泣きじゃくった後の幼子のように無邪気な笑みを浮かべた。

 またナイーブさの裏返しとして、清原には何かを信じたらそれをとことん思い込む一途さがあった。清原は自分のバットをまるで神物か何かのように扱っていた。練習や試合が終わった後、ベンチに戻った他の選手たちが早々に片付けを済ませて寮へ戻っていくなか、清原だけは時間をかけて丁寧にバットを磨いていた。就寝時にはバットを枕元にそっと置いた。聞けば、リトルリーグのときの指導者からそう教わったのだという。そうすることでバットが願いを叶えてくれるのだという。

 清原は根拠にかかわらず、これと決めたら疑うことを知らなかった。甲子園のスターとなり、ドラフトの目玉選手となってもそれは変わらなかった。幼いころから憧れていたという読売ジャイアンツ入りが現実のものとして迫ってきて、むしろその危うい純情に拍車がかかっているようだった。

清原の入団先はおそらくクジ引きに…

 壁時計の針が11時にさしかかろうとしていた。本間は教師の視線が外れるタイミングを見計らって、後ろのドアからそっと教室を抜け出した。難しいことではなかった。そうした行為は初めてのことではなく、クラス全体にとがめ立てるような雰囲気もなかったからだ。

 1階に上がり、視聴覚室に行けばテレビがある。本間はそこでドラフト中継を見るつもりだった。清原のためではなかった。どれだけ本人がジャイアンツからの指名を信じていようと、ドラフトというのはプロ側に選択権がある。清原の入団先はおそらくクジ引きに委ねられるだろうという現実があった。

 本間が教室を抜け出したのは、むしろ自分のためだった。清原が1位候補だというのは分かる。ただ順位にかかわらず、自分や他のメンバーが指名されてもおかしくないはずだった。何しろ31期生は夏の甲子園で優勝を果たしたのだ。

 2年生からベンチ入りしていた本間は最後の夏、スターティングメンバーに名を連ねた。レフトを守り、おもに八番を打った。決勝戦の途中で代打を送られたが、紛れもなく優勝メンバーの1人だった。だから憧れのジャイアンツ入団を夢見るのは、何も清原だけの特権ではないはずだ、という思いがあった。

 授業中の廊下には誰もいなかった。ひんやりとした空気の中、急ぎ足で階段を上がって1階に出ると、視聴覚室はすぐ目の前だった。中を覗いてみると2年生が授業をしていた。テレビがつけられていて、チャンネルはドラフト中継に合わせられていた。今年のドラフト会議が学園全体にとっても大きな関心事なのだということが伝わってきた。

桑田はなぜプロにいかないのだろう?

 本間はそこでふと思った。

 そういえば、桑田はなぜプロにいかないのだろう?

 清原と並ぶ才能を持つ桑田は早稲田大学への進学を希望していたが、今更ながらそれが不思議に思えてきた。

 いつだったか、本間は桑田が読売ジャイアンツへの憧れを口にするのを耳にしたことがあった。

「PLに入って早稲田にいって、ジャイアンツに入る。中学のときにそう決めたんだ」

 本間と2人きりのときに桑田は言った。

怪物とは”桑田”ではないか?

 実際に桑田はもう十分にプロで通用するレベルにあった。わざわざ大学というステップを踏む必要などないはずだ。おそらくは31期生のほとんどがそう感じていた。

 清原は確かに怪物と呼ばれていた。だが、怪物という言葉があてはまるのはむしろ桑田のほうだと本間は考えていた。そう実感した瞬間があった。

 桑田が突然、鬼気迫るように走り始めたのは2年生の秋口だった。それまでもランニングの量では群を抜いていたが、さらに拍車がかかった。教団本部が建つ聖丘に晩夏の太陽が沈む時刻になると、エースは汗出しと呼ばれる真っ黒なウインドブレーカーに身を包んでグラウンドを出ていった。教団の敷地内にあるゴルフ場へひとり消えていく。それからしばらくは誰も桑田の姿を見なくなる。そして辺りが真っ暗になったころ、頭からびっしょりと濡れそぼった姿で寮に戻ってきた。

 桑田は何をしているんだ? 一体、どこまで走りにいってるんだ?

 多くの部員たちがそうした疑問を抱いていたが、従いていこうという者はいなかった。

 桑田の背中に他者を寄せつけない空気があったからかもしれない。

 本間にはエースの変化について思い当たることがあった。2年夏の甲子園決勝戦、PL学園は茨城の取手二高と対戦した。そのゲームで桑田は8点を失って敗れた。連投による疲労が身体を蝕んでいたのは明らかだった。

 きっと桑田は最後の夏に向けて、連投に耐えられるスタミナをつけようとしているのだろう。本間はそう推測した。そして確かめてみようと思った。

 ある日、本間はランニングに出た桑田の後を何食わぬ顔で追いかけた。エースは後ろからついてくる本間に気がつくと、振り返って少しだけ微笑んだ。そしてすぐに前を向いてまた黙々と走り始めた。

 ゴルフ場に入ると木々の間の起伏のあるコースを進んでいった。夕日に照らされた芝を踏む音と互いの息づかいだけが聞こえた。桑田は止まらなかった。ほとんど変化のない景色の中を走り続けた。やがて、汗を吸い込んだ練習着がぴちゃぴちゃと音を立て始めた。

 一足ごとに身体が重たくなっていった。

 いったい、どれだけ走るんや……。

 本間はついてきたことを後悔し始めていた。

 体力には自信があった。チームメイトが音を上げるような練習でも動けなくなったことはなかったが、そんな本間でさえ不安を覚えた。1時間近くが過ぎたところで桑田はようやく止まった。本間は胸をなで下ろした。呼吸を整え、寮の方へ戻ろうと歩き始めた。

こいつ、本当におれたちと同じ人間なんか…

 ところが桑田はその場を動かなかった。そして目の前の急斜面を睨むと、そこを駆け上がり始めたのだ。頂上まで登るとゆっくり降りてきて、また駆け上がる。悲鳴をあげる心臓にムチを打つような反復だった。

 それが終わると、神霊が祀られているという御正殿のグラウンドに移動してインターバル走を始めた。200メートル、300メートルと距離を伸ばしながら走り続けた。桑田の足は止まらず、短距離走ではチーム一、二を争う俊足の本間が10メートルほども離された。

 こいつ、本当におれたちと同じ人間なんか……。

 本間はぞっとするような感覚に陥った。なぜ、ここまでやれるのか。桑田を突き動かしているものの正体がつかめなかった。

 甲子園に出て全国に名前を轟とどかろせる――31期生の誰もが、いやPL学園に入ってくる誰もが少なからず野望を抱いているはずではあった。本間もそうだった。大阪市北区の強豪・大淀ボーイズでは知られた存在だった。市内の有名チームとは軒並み対戦し、打てなかったピッチャーは記憶になかった。PLに入って甲子園という舞台で野球をやることによって、自分の人生が切り開けるかもしれないと思っていた。その一方で、十代の夢は眩しさの分だけ現実を前にすると儚く霧散してしまうこともある。野球部を辞め、学園を去っていく者も1人や2人ではなかった。

本当の”怪物”は桑田なのか?

 甲子園で勝つ。そんな漠然としたもののために果たしてここまでやれるだろうか? そのためだけに高校生がここまで自分を追い込めるだろうか?

 桑田には、自分たちでは計り知れないような動機があるのではないか、という気がした。その得体の知れなさが怖ろしかった。そのころから本間は本当の怪物は桑田なのだと考えるようになった。 

 もちろん清原にも驚かされたことはあった。フリーバッティングで打撃投手を務めたとき、バットの根元に当たった打球が高々と舞い上がるとそのままバックスクリーンまで届いてしまう。清原はゆったりとバットを振っているように見えるのに白球はぐんぐん伸びてスタンドに吸い込まれていく。

 おれたちならセンターフライなのに、なんであれが入るんや。

 同じバッターとして嫉妬せずにはいられなかった。意地になった本間が力を込めて渾身のスピードボールを投げても清原は相変わらず軽々としたスイングでスタンドに放り込んだ。それはひと目でわかる圧倒的な才能だった。ただ、清原は自らの才能に無自覚のように映った。持て余しているようでもあった。それが彼特有の大らかさを生んでいた。清原の怪物性は他者を遠ざけなかった。

 対照的に桑田の才能は、本人の意志と直結しているように見えた。自分が他者にないものを持っていて、それが何であるかを明確につかんでいた。自分を疑い、自分に足りないものが何かを探すことができた。それゆえか、桑田の怪物性は他者を寄せつけない鋭さを伴っていた。

 2人の違いは試合になるとより鮮明になった。他の強豪校との真剣勝負において、チームの心の拠りどころになるのは清原のバットではなく桑田のピッチングだった。誰も想像できない戦況になったとき、それを打破できるのは桑田だけのように思えた。この男がマウンドにいれば負けることはない――自分たちとは隔絶した精神性を持つエースの存在が チームメイトにとって御守りのような役割を果たしていた。

 本間は最後の夏を迎えるまでの数カ月、桑田とともにゴルフ場を走った。そうすることで何かを変えられるような気がしたからだ。

 すると夏の大阪大会から快音が途切れなくなった。それまでは好不調の波があってレギュラーポジションをつかみきれずにいたが、八番・レフトは本間のものになった。エースや四番に比べれば脇役のポジションだったのかもしれない。それでも夏の甲子園を終えたとき、本間は人生をかけた椅子取りゲームに自分は勝ったのだと実感することができた。それは桑田とともに走り続けた先にあったゴールだった。

 そして桑田は3年の夏が終わっても走り続けていた。閉ざされた空間での果てしない競争が終わり、誰もがようやく腰を下ろして静かな学園生活を送ろうというなかで、まだ何かに向かって走り続けていた。

 それぞれが卒業後の進路について考え始めた秋のある朝、本間は桑田とともに校舎へ向かっていた。気怠い空気のなか、同じ制服姿の一般生徒の列にまぎれて歩く。野球部員が高校生活を実感できる数少ない瞬間だった。

 なだらかな下り坂の半分を過ぎたあたりで桑田が左へ折れた。あらかじめそうすると決めていたような迷いのない足取りだった。その先には教主の墓があった。

 椀の蓋のように土が盛られた墳墓には季節ごとに色を変える芝が生えそろっていた。まわりには堀がめぐらされ、正面には祭壇がもうけられていた。桑田はそこで立ち止まると目を閉じた。

「何を祈ってたんや?」と問うと、桑田は…

 朝の静けさが彼を包んでいた。どれだけそうしていただろうか。桑田は祈りを終えると、本間のところへ戻ってきた。

「何を祈ってたんや?」

 本間が問うと、桑田は照れたように笑いながら、視線を外した。

「中学のときから好きな女の子のことだよ」

 それが彼の本心なのかどうか判断はつかなかった。ただ、すべての大会を終えた高校球児が祈ることなど案外そんなものかもしれないという気もした。そのときはそれくらいにしか考えていなかった。

 だがドラフト当日になってみて、あの朝の祈りが妙に腑に落ちた。桑田が甲子園の優勝投手になってもなお走り続けていたのも、すべてはこの日のためだったのではないかと思えてきた。

 ああ、そうか……。桑田は本当はプロに行きたかったのか。

 本間はすべての謎が解けていくような感覚に包まれていた。

 ――ドラフト会議の中継が始まったのは午前11時のことだった。本間は廊下に面した窓から視聴覚室のテレビを覗き込んだ。

 画面にはホテルの大広間で円卓を囲んでいる男たちが映し出された。プロのスカウトたちは一様にスーツ姿で険しい表情をしていた。ドラフト1位入札の緊迫感が伝わってきた。

 パ・リーグの最下位チームから順に1位入札の選手が発表されていく。冒頭、清原の名前が呼ばれた。地元大阪を本拠地とする南海ホークスが指名したのだ。それから日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、近鉄バファローズと4球団が甲子園最多本塁打のスターを1位指名した。

 実況するアナウンサーの声が教室の外まで漏れてきた。

『清原、早くも4球団から指名されました!』

 やっぱり清原はくじ引きやな……。

「桑田さん、巨人の1位指名ですよ!」

 本間は、大人たちの手に委ねられた彼の命運に束の間、思いを馳せた。そしてまた画面に意識を向けた。カメラが引きになり、アナウンサーが少し声のトーンを上げた。

『さあ、そして、注目の読売ジャイアンツです』

 本間は画面を食い入るように見つめた。ドラフト会場に司会者の独特のアナウンスが響いた。

『読売、桑田真澄――』 そう聞こえた気がしたが、本間は何が起こったのか、すぐには飲み込めなかった。聴き慣れた名前がどこか遠くの他人のもののように思えた。

『巨人は桑田! 桑田ですかあ……』

 アナウンサーの声に驚きが込められていた。

   本間は思わずドアを開けると、視聴覚室にいた野球部の後輩をつかまえて訊いた。

「おい、どうなってるんや?」

「桑田さん、巨人の1位ですよ!」

 後輩は目を見開いてそう言った。そこで本間は我に返った。次の瞬間、廊下を駆け出していた。衝動的に体が動いた。脳裏には黒いウインドブレーカーを着て、ひとり走り去っていく桑田の背中が浮かんでいた。

 桑田に知らせてやらなければならない。祈りが通じたのだと、教えてやらなければならない――。

 本間は階段を駆け降りた。無人の廊下に向かって「おめでとう!」と叫んだ。教室が見えた。もう後方のドアに回るのももどかしかった。前方のドアを勢いよく開けると、教師の視線も、授業中であることもお構いなしに叫んだ。

「桑田、おめでとう! 巨人の1位やぞ!」

誰かが言った。「清原はどうなった?」

 その言葉に教室の空気が固まった。凍りついたようになった。誰も何も言わず、桑田本人もちらっと顔を上げただけで俯いていた。重たい沈黙が見慣れた教室を支配していた。

 本間は何が起こったのか分からず、呆然とその場に立っていた。

 誰かが言った。

「清原はどうなった?」

 本間は脳裏に残っている映像を頼りに答えた。

「おお、清原もようけあったわ。どの球団かは分からんけど……とにかく、ようけあったぞ」

 反応はなかった。誰もが顔を伏せたり、窓の外に視線をやったりしていた。静寂を破ったのは清原だった。最終的に6球団から1位指名を受けながら、本命の巨人からは指名されなかった四番バッターは、大きく舌打ちをすると机の足を蹴った。その音が静まり返った教室に響いた。

 清原は何人かを隔てて自分の前方に座っている桑田を睨んでいた。桑田は俯いたままだった。本間には2人の間に流れている空気が何なのか分からなかった。

 自分は何かまずいことを言ったのだろうか……。

 クラス中の視線が桑田に注がれていた。俯いていたエースはやがて立ち上がると、無数の冷たい視線から逃れるように教室を出ていった。

<#1、#2から読む>

【著者インタビュー動画】

「清原和博を追い続け、何が見つかったのか。ノンフィクション界話題の作家・鈴木忠平に聞く」

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